平壌側が大韓民国を赤化するために念入りに構築した地下党の統革党が韓国当局によって摘発、掃討(1968年)されたのは金日成に大きな打撃となった。大韓民国を転覆、抹殺するための対南工作に対する金日成の執念と、その核心工作員たちを戦略・戦術的にどう扱ったのかは、この統革事件を通じてわかる。
平壌には、処刑された統革党の首魁たちを称える記念物などが作られた。統革党の首魁の1人である申栄福は当時、陸士の教官だった。現役将校だった彼は、軍法会議で死刑を宣告されたが、多様な人々の救命運動で無期懲役に減刑された。
金日成は、死刑を免れた申栄福を救出し平壌に連れて行って宣伝に利用するため、最善を尽くした。金日成は、ベトナム戦争で北部ベトナム軍がサイゴンを陥落(75年4月30日)後、スパイ交換を通じて申の救出を試みる。
インドで南・北が接触した秘密交渉は、最終的に決裂した。この事件は韓国の月刊誌(月刊朝鮮2018年5月号)にも報じられた。結局、申栄福はソウルオリンピック後、転向しないまま仮釈放され、彼の部下の統革党の幹部だった朴聖〓などと共に韓国を赤化するための決定的役割をする。申栄福は聖公会大学の教授として主思派など数多くの共産主義者を育て、後に、国家保安法の廃棄と社会主義化、そして南北連邦制を追求し、朴槿惠大統領を違憲・詐欺弾劾後の大統領選挙で大統領となった文在寅のメンターとなる。
いずれにせよ、第2の南侵戦争の準備と同時に、労働党中央党の予算の3分の2を対南工作に注ぎ込むほど赤化統一に執着した金日成は、日本を通じての対南工作にさらに集中することになる。日本が、韓国と国交を正常化した後も南北韓等距離外交を追求したのは、朝鮮労働党日本支部(朝総連)の役割、暗躍が絶対だった。平壌側は直轄植民地でかつ工作拠点の朝総連に、韓半島問題に関連する業務に従事する人員を接触、管理するようにした。
特に言論、メディアの工作を最も重要視した。日本のメディアや世論を主導する大学教授など数多くのオピニオンリーダーたちが、韓国は独裁国家で、平壌側は急速に発展する社会主義国家として説明、描いたのは平壌側の、そして平壌側と連帯したすべての社会主義諸国の言論工作の結果だった。
1970年3月の共産主義者同盟赤軍派が起こした日本初のハイジャック事件の犯人が平壌で亡命を希望するや、金日成は彼らを受け入れた。韓国政府は、拉致犯たちを金浦空港で取り押さえようとしたが、着陸地が韓国の空港であることを感知した拉致犯たちが日航機を平壌へ連れて行った。 58年、KNA(大韓航空の前身)の「滄浪号」をハイジャックして北へ拉致した平壌側が、外国の航空機拉致犯を庇護することになったのだ(北側は滄浪号の乗組員を今も抑留している)
よど号拉致グループを庇護した平壌側は以後、テロ集団との関係を公然とし、世界中のテロ集団への支援と訓練に乗り出す。平壌側は自らの工作員たちの海外工作のために作った、偽造日本パスポートを、よど号拉致グループなど日本の極左テロ分子などにも提供した。北韓は、国際社会でテロ国家・テロ支援国家として指定される。
すでに大統領官邸の朴正熙大統領を暗殺するため、特殊部隊をソウルへ送った北側は、自国民をテロ分子として訓練させる大規模な体制を構築する。この特殊要員養成の対象は、後に朝総連にまで拡大される。
(つづく) |