都心のあちらこちらで梅の花が咲き出し、うっすらと甘酸っぱい香りが春の訪れを伝えている。受験生にとっては緊張の時期。最後は神頼み! そう願ってお参りをしたことを思い出す。
もう10年前の話になってしまうが、韓国慶尚南道の北西に位置する山清を訪れた。3月の上旬とはいえ、山間の町はまだまだ肌寒く、周囲の山々もじっと春を待つかのように冬芽を硬く閉ざしていた。「訪れた時期がやや早かったかな?」と思いながらも、澄んだ空気と陽春の光を浴びる木立に囲まれているだけで「来て良かった」と思った。訪れた目的は、ここにある東医宝鑑村の取材の続きだった。前の年の夏に訪れ、本の発行前の再確認を含めて「春はどんな薬草や野草を見ることができるのだろう?」という思いもあってやってきたのだが、やはり春は遠かった。だが、夏草が生い茂る時期にはわからなかった木立や山肌の様子が見てとれた。
東医宝鑑村は医学者・許浚が『東医宝鑑』を編纂した地。現在は東医宝鑑村として許浚の功績を伝えるとともに、さまざまな韓方(韓国の漢方)体験などができるテーマパークになっている。また、この地は昔からパワースポットとしても知られ、気の流れが集まる「亀石」と「石鏡」には願いを込めるために全国各地から多くの人が訪れている。
許浚の功績を伝える韓国初の韓医学専門博物館で広報担当の方から、山清で採れる薬草などの説明をしていただき、薬草園にも案内してもらった。「あまり見るものはないですが、越冬する様子を見てください」と、広大な園内で今の時期にこそ案内したいところがあるようだった。向かった先はシャクヤクのエリア。シャクヤクの効能や、株と株の間を広くしている理由を聞きながら、大輪の花の時期を想像することができた。ふと、近くの道端に、ヨモギの新芽が顔を出しているのが見えた。広報の方が「ヨモギですね。春ですね。枯葉をよけるともっと出ていますよ。ヨモギは出始めが一番おいしいので、子供の頃は祖母と一緒に摘んでいました。日本でも食べますか」との問いに、「食べますよ。一番、馴染みがあるのは草餅ですね。韓国では鍋物にも入れますよね」と話すと「春先には必ず鍋物(トゥッペギ)に入れますね。季節の変わり目に体調を崩しやすくなるのを防ぐと言われていますから」。あれこれ話しながら、午前中の取材も終了しランチタイムとなった。テーマパーク内にある飲食店へと案内され、「韓方がたくさん入ったご飯なのだろう」と勝手な想像を膨らませて店内へ。
テーブルには鍋料理がセットされていた。「そうか、きっと高麗人参やナツメなどが入る鍋料理なのだろう」と想像したが、これまた想定外。運ばれてきたのは山盛りの瑞々しいキノコと葉物野菜。今度こそと「きっと、スープに韓方を使うのだろう」と。しかし、これまた大外れ。美しくカットされた牛肉が登場し、どうやら牛肉をメインにしたキノコ鍋であった。「韓方の料理だけかと思った」とつぶやいてしまった。すると広報の方が「東医宝鑑村ですから韓方を使った飲み物や食べ物はありますが、韓方の考えというのは韓方材だけではなく、普段の食べ物にも通じるものです。食べるということは命をつなぐもの。食べ合わせや偏りを注意しないと、身体に不調が起こり病気になってしまいます。肉と同量の野菜、そして水分の大事さをわかりやすく示したのも許浚です」。と言いながら、器に次々とよそってくれながら「どんどん食べましょう。バンチャン(小皿料理)に、ゼンマイのナムルがありますが、近くの山で採れたものですよ。おかわりもできますから」と。キノコのまろやかな旨みと牛肉の旨みが混ざり合い、特性タレのピリ辛感が食欲を増進させて箸が止まらない。気づけばジワジワと身体がパワーアップ。再び取材が始まると、足のつま先までポカポカ状態で心なしか背筋も伸びたような気がした。
韓方の里で「食べることは命をつなぐこと」を再認識した思い出深いランチだった。里山の芽吹きももうすぐ。
新見寿美江 編集者。著書に『韓国陶磁器めぐり』『韓国食めぐり』(JTB刊)などがある。 |