次々と変異を起こすコロナウイルスがいつ収まるか予測不可能で、全世界が恐怖のなか、中国では北京冬季オリンピックが開幕・終了した。自分との戦いに勝ってオリンピック出場の切符を手にした選手たちの姿は、コロナ禍で疲れ切っている私たちに勇気を与えてくれた。国や民族など関係ない、性別も関係ない、年齢も関係ない、全ての選手の勇姿に感動し、感謝している。金メダルを獲った選手と一緒に涙が流れてくる。欧米の選手を抜いて小柄な日本人のスケーターが金メダルを獲ると、より感動的だ。ところが、アナウンサーが真っ先に「日の丸を背負った○○選手」という実況を聞くと「北朝鮮のようだ」と一瞬思う。まずは、その選手の人間としての勝利をたたえてからでしょうと。
さらにテレビでイラッとさせられる出来事があった。夜空に旧正月の美しい満月が見える今年の2月16日、テレビで金正日生誕80周年祝賀行事の様子が放映されていたのだ。日本海側の多くの地域で大雪が予想されていたから、さぞかし北朝鮮も寒いだろう。そんな中で人々が韓半島伝統衣装を着て踊る平壌の夜の姿を、アナウンサーは淡々と紹介している。金正日がどんな人物で、なぜ寒い夜に平壌の若者たちが薄い着物で集団で踊らなければならないのか、について決して言及しない。マスメディアのプライドさえもなくなった気がして暗く寂しくなる。
寂しい気持ちは別にもあった。今は大学受験シーズンで、都内の私の店にもたまに受験生が親と食事に訪れる。店の上の階がホテルで、親子でホテル泊まりをしながら受験するらしい。
私には羨ましい限りだが、受験生も親も顔は沈んでいる。大学を受ける希望やワクワク感は全くない。疲労困憊して、すぐにも倒れそうだ。受験がいくら大変でも、ひどい表情だ。人生で一番楽しい年頃なのに、そのようなオーラがまるで感じられず、私も悲しくなった。何のための受験で、勉強なのだろう。教育とは何なのだろう。どの時代にもどの国でも大事にされてる「教育」だが、その教育を受けている小中高生は、学ぶ幸せをどのくらい感じているのかしらと時々思う。ドンスは「無償教育」を自慢する北朝鮮で、ほとんど学校に行かなかった。
小学校には戸籍がなくて入学できなかった。都市ではありえないことだが、田舎では親と一緒に畑仕事をしている子どもは結構いる。ドンスは都市で新しい父と暮らすようになり中学校に通ったが、経済難で学校が閉鎖状態となってしまった。それで北朝鮮が世界に宣伝している、偉大なる無償義務教育課程を修了できず死んだのだ。
ドンスを痛みから楽にさせるためには早くモルヒネを注射しないといけなかった。でも私にはできなかった。そんな私をキム君はじっと見てから、注射器に手を伸ばした。
私は思わずキム君のその手を握って止めた。頭の中が真っ白になったり、真っ黒になったりした。私は左右に頭を振った。ひどく気持ちが悪かった。若いキム君にこんなことまでさせてはいけない、ということだけは理解した。ジョン先生が必要だった。そんな自分の利己的な気持ちに嫌悪感を覚えた。それでも、キム君にジョン先生を呼んできてくれるように頼んだ。
キム君は「大丈夫です。僕がやります」と言った。私がなぜジョン先生を呼んでほしいかを言わなくても分かっていたのだ。そんなキム君がけなげでかわいそうで、泣いている場合ではないのに涙が止まらなかった。キム君に「ドンスの母親が帰ってくるまで待とう」と伝えた。
うそだった。そんな希望はなかった。私はドンスの最期を決定することができない。代わりの誰かにお願いするとしたら、それはジョン先生しかいなかった。ジョン先生なら少なくともドンスの最期を静かに終わらせてくれるだろう。自分が出来ないことをジョン先生に押しつけようとする身勝手な利己心に、寒気を覚えた。
(つづく) |