大学生の時、生きないという生き方を選択し、日本語が諸悪の根源だと気が付いた私は、言葉から離れる訓練をしました。
一日に十二時間以上寝床に横たわって、寝床の中で言葉を使わずに考える訓練をしました。半年ほど経つと映像だけで物事を考えられるようになりました。チャップリンの無声映画のように光景だけでものを考えていられました。寝ていると、通常では聞こえないような遠く離れた場所の車の音やドアの開閉音まで聞こえるようになりました。言霊を離れて言葉を道具として使う、そういう訓練を積みなから、小説を書く訓練も始めました。
韓国に留学したときは一日に十五時間勉強しました。ネイティブと同じぐらい出来なければ韓国人ではないと思っていましたから、頭の中の日本語を全て消してから韓国語をインストールしようとしました。一日に十五時間も勉強すると、夜寝られなくなります。体を横にしているだけになります。寝ている間中、昼間やったことが堂々巡りで繰り返されますから、寝ている間も勉強していることになります。体力勝負です。勉強は若いうちでないと出来ません。能力よりも体力の勝負になります。三カ月ぐらい経つと、日常会話程度なら同時通訳出来るようになりました。しかし、それでも日本語は頭の片隅にこびりついています。これを全て引きはがして消滅させてやろうと更に頑張りましたが、頭にこびりついた日本語が頑強に抵抗して引きはがすことが出来ません。これ以上やると発狂する、と全身から冷や汗が出るような恐怖を感じて、そこでやめました。
このような自分の経験から、夏目漱石がロンドンに留学して発狂の噂が流れたことを理解しました。漱石は私と同じ事をしたに違いないと感じました。遂には日本語を消し去る事が出来なくて発狂したのです。私は発狂寸前で恐くなってやめましたが、漱石は一歩踏み込んだのだ、と直感しました。
こうした経験があったので、「我ら韓民族は韓国語を学ばなければならない」というスローガンを直ぐに嘘っぱちだと見抜くことが出来ました。頭の中の日本語を消し去ることが出来ないのに、どうやって韓国語を韓民族と言えるレベルまで習得できるでしょうか? バカ言ってんじゃないよ、と思いますね。
在日は日本民族です。そこから離れることは出来ません。一世の責任は大きいけれど、在日を文化的日本人にした責任は日本社会にもあります。ここでは社会的責任以外の法的責任について見てみます。
日本はポツダム宣言を受け入れてから、在日から法律の根拠なく日本国籍を剥奪しました。本来は国籍選択の機会を与えるべきだったのに、民事局長の通達だけで国籍を奪いました。世界中でこんな出鱈目をしたのは唯一、日本だけです。我々は帰化しなくても日本人だったのに、帰化という手続きを強制されました。加えて長い間、本名帰化は許されませんでした。こうした非人間的な取扱いをした日本を、組織は糾弾しようとしません。国籍が民族だと思っているからです。
誤解を怖れずに言うなら、優秀な人間には日本国籍は必要ありませんし、本名でも生きていけます。これに対しヤクザや、犯罪に手を染めた人たちなど、日本人の振りをしなければ生きていけない弱い人たちには日本国籍が必要です。しかし前科がある人は帰化出来ません。組織は彼らを民族敗北者だと切り捨てます。弱い者が生きていけるようにしてあげないで、何が組織だ、と思ってしまいます。組織は、過去に不当に国籍を取り上げた日本に対し、簡易帰化制度の実施を求めるべきです。紙一枚の届出で、植民地朝鮮人だった者の子孫は例外なく前科があっても、日本国籍を取得出来るようにすべきです。同時にその時、本名で日本人になるような運動もしなければなりません。
李起昇 小説家、公認会計士。著書に、小説『チンダルレ』『鬼神たちの祝祭』『泣く女』、古代史研究書『日本は韓国だったのか』(いずれもフィールドワイ刊)がある。 |