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2022年02月02日 00:00
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大韓民国の建国史(263)金日成の第2の南侵に対応した郷土予備軍創設

 平壌側は、拿捕したプエブロ艦から確保した情報をソ連に提供した。南ベトナムで、共産側のテト攻勢は軍事的には失敗したが、米国内に激しい反戦世論を作る契機になった。共産側が政治宣伝で主導権を取りながら、ベトナム戦争は新しい局面に変わった。米国内ではテレビや新聞などの報道で、反戦世論が高まっていた。後に(1969年1月)。米大統領に就任するニクソンは、南ベトナムからの段階的な撤軍を発表、「ベトナム戦争はベトナム人が遂行せねばならない」という「ベトナム戦争のベトナム化政策」を推進することになる。
金日成の青瓦台襲撃は、寝ていた虎を目覚めさせた。韓国民の警戒心を刺激したのだ。戦いでは奇襲で失敗すれば、より大きな逆襲に遭う。6・25戦争を戦った朴正煕大統領は、休戦を事実上、熱戦化した金日成のこの挑戦に対して、機敏かつ断固として対応した。経済発展を持続するためにも、軍事的対応を画期的に強化せねばならなかった。青瓦台は、大統領が射撃場を訪れ、射撃練習をする光景をメディアに流した。
朴大統領は直ちに郷土予備軍の創設で、金日成の挑戦に対応した。北側の「4大軍事路線」によるいわゆる「全人民の武装化」が韓国でも実現する結果となったのだ。朴大統領は4月1日、大田公設運動場で開かれた郷土予備軍創設式で、「予備軍の理想的な姿は田園や職場で自分の仕事に従事し訓練に努め、いったん武装共匪が現れると直ちに出動し、自分の村、自分の職場で共匪と戦う戦士になること」と強調し、「自由は命をかけた戦いでのみ得られるものです。死を覚悟した防御のみが、自由を守護できます。国家安危への備え策を、党利党略の対象とする自由があるなら、それはまさに『自己破滅の自由』と言うしかありません」と全国民に訴えた。高校生以上のすべての学生たちも軍事訓練を受けることになった。
南北韓の軍事緊張が高まる中、南北間の情報戦も熾烈になった。北側は長期間、韓国内で暗躍した「統一革命党」組織が危うくなるや、金日成は金鍾泰など核心工作員を救出する工作船を済州島に送った。韓国軍は8月20日、この工作船を撃沈、北側工作員2人を捕らえた。中央情報部は8月24日、統革党事件摘発を発表した。
大韓民国は経済建設をよくやって先進国に発展した国ではない。東西冷戦の最前線で、最も過酷な条件、最悪な環境の下で戦いながら建設し、建設しながら戦って国家を作り護り抜いてきたのだ。全国民が第2の国軍、郷土予備軍を作る、準戦時状況でも、朴正熙政府は意欲的に策定した経済建設も計画通りに推進した。
実際、68年に推進された重要プロジェクトを見れば原子力発電所建設計画発表(1月5日)、京釜高速道路着工(2月1日、70年7月完成)、大巖ダム着工(2月)、蔚山石油化学工業団地起工(3月22日)、華川水力発電所4号機竣工(6月)、畜産開発4カ年計画確定(7月26日)、安渓ダム着工(8月)、第1回韓国貿易博覧会(9月9日から10月20日)、清平水力発電所4号機竣工(9月)、双龍セメント東海工場竣工(10月31日)など。
金日成は10月30日、東海岸から蔚津三陟地区に武装共匪を大規模に侵入させた。120人のゲリラが上陸したが、韓国軍は2カ月間の掃討戦で113人を射殺、7人を捕縛した。発足半年も経たなかった郷土予備軍は戦略的機能を発揮した。南韓をゲリラ戦場にしようとした平壌側の期待は打ち砕かれた。
(つづく)

2022-02-02 3面
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