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2022年01月26日 00:00
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大韓民国の建国史(262)南・北体制競争の本格化と朴正煕大統領暗殺失敗

 朝鮮労働党の存在目的は、韓半島の赤化統一だ。金日成の立場では、国力を効率的に組織化、動員し始めた朴正熙の革命政府は厄介な存在だった。特に、画期的な経済発展計画で雇用を創出、不安定な韓国社会を急速に安定させる朴正煕政権は警戒対象だった。さらに、韓日国交正常化とベトナム戦派兵を通じ、韓米同盟が確固たるものになれば赤化統一は遠のく。
このような情勢変化を見ながら、平壌の金日成は対南戦略、対南工作を練ったのだ。これが「3大革命力強化路線」(1964年2月)の背景だ。この路線により迂回浸透の主戦場となった日本に対する、日本を舞台にした工作が画期的に強化される。朝鮮労働党の日本支部(在日党)、つまり朝総連の役割が一層重要になった。しかし、韓日国交正常化の後、労働党在日支部の影響力は急速に萎縮し始める。 
すでに触れた通り、ベトナム戦派兵は韓米関係を決定的に強化した。米国は韓国を全面的に支援した。派兵当時、一人当たりの国民所得が100ドルに過ぎなかった韓国は飛翔し始めた。韓国企業は荷役、建設などを中心にベトナムに進出し、国内失業率の緩和に大いに寄与した。66年には、2万5000人余りがベトナムで働いていた。現代建設は、ベトナムで軍事土木工事を受注した。
朴正煕は、何より韓国人の遺伝子の中で眠っていた進取の気質を覚醒させた。文字通り、戦いながら建設し、建設しながら戦う時代が始まった。金日成の朝鮮労働党は韓国の急速な発展を放置できなかった。彼らは、すべての資源を韓国の赤化、つまり大韓民国を滅ぼすため動員した。陸軍大将の許奉学が67年4月、対南事業総局長となったのは、平壌側が韓国の赤化を軍事的に達成するという意図を表したものだ。
金日成は恐ろしい存在である朴正煕大統領を除去、韓国を武力で占領する戦略を追求することになる。東西冷戦が熾烈な時代だったため、金日成の対南赤化戦略・工作は当然、ソ連と中共、北ベトナムなど共産圏と戦略的に連帯して行われた。南・北韓が派兵していたベトナム戦の展開と韓半島の政治・軍事的対峙がどれほど密接に連動していたかは、金日成が6・25戦争の休戦15年後、ソウルを軍事攻撃した事件でよく表れる。金日成の対南事業総局は、韓半島でもベトナム戦のようにゲリラ戦が可能と判断した。韓半島にベトナム戦の第2戦線を作れば米国の力が分散されることも狙った。金日成は、「第2の南侵」のため韓国の心臓部を一挙に攻撃することにした。全面的軍事侵攻に先立ち、有能で強力な指導者の朴正煕大統領を除去せねばならなかった。 
朴正煕大統領も、南韓でゲリラ戦を試みる北側の戦略的意図は見抜いていた。だが、その始まりが自分を殺害するための部隊が酷寒期にソウルを襲うとは予想できなかった。68年1月17日、休戦線を超えた北韓軍特殊部隊1個小隊が、21日の夜9時30分頃、大統領府から500メートルの所で警察の不審検問にかかり銃撃戦となった。歴史に「1・21事態」と記録された朴正煕大統領暗殺のための北韓軍侵攻事件だ。 
ベトナムで北ベトナム軍が南ベトナム軍を攻撃し始めたのは、金日成が朴正煕大統領殺害を目的に特殊部隊を休戦線を超えて侵入させた3日後の1月20日だった。「テト攻勢」の始まりだ。「1・21事態」の2日後の23日、北韓側は元山湾で米海軍の情報収集艦プエブロ号を拿捕した。プエブロ号拿捕1週日後の1月30日、ベトコンはサイゴンで大規模の奇襲攻撃を行い、米国大使館まで一時占拠した。        (つづく)

2022-01-26 3面
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