ドンスは翌日、9時開館の前から図書館の前に立っていた。学校にいるべき子どもが図書館に来ており、その子が先日の10人グループにいじめを受けていた当人だったので、気になった。正確に言うと、それだけではなく図書館に来る子どもの中で何人かの気になる子がいて、ドンスもその中の一人だった。
9時に「開館」のプレートを掛けながらドアを開けたら、ドンスは軽い挨拶をして閲覧室に入った。
普段、図書館の午前中は特に暇だ。みんな学校か職場に行っている。一般の大人が図書館に来るのは組織的な学習課題が出た時だけだ。学習課題は毎月の祝日、つまり金氏一族に関連する日に合わせた革命歴史勉強だ。
「金日成全集」「世紀と共に、金日成回顧録」「人民たちの中で」「抗日パルチザン参加者回想記」などの本から課題が出された。毎回、似ている課題が出るので、新社会人以外の人たちは一回書いたレポートを繰り返し写して提出していた。課題をチェックする組織幹部もペーパーだけ提出すると内容は見ていないようだった。「偉大なる首領様」と「英明な後継者さま」などの呼称は北朝鮮住民の唇にくっ付いて口を開けるたびに出てしまう癖のようなもので、その偉大さと英明さについては心と頭の両方から少しの尊敬も確信も抱かなかった。なので、「忠誠」を叫びながら涙を流す人たちを見ると、私はその演技に恐怖を感じていた。
時代は1995年で、94年7月に金日成が死亡してから組織的な統制がより強くなり、町には飢えを耐える人たちと耐えられなくなった証左としての餓死者が出ていた。犠牲者には、老人と子どもが多かった。その頃は検閲の幹部以外、図書館に来る大人はいなかった。まだ家庭に余裕がある子どもだけが放課後に来ていた。図書館に遊びに来る子は、まだ理性が残っている家庭の子どもだった。
図書館の職員も、密かに食料集めのために交代の出勤となっていた。新入りで夫の家の経済力があった私だけが毎日出勤して、掃除や開閉館の準備をしていた。このことが後に、私の命運を脅かす証拠となってくる。
この閑散とした図書館に、ドンスは朝から閉館までいた。月曜日から土曜日まで、夏秋農村動員時期と祝日休み以外ほぼ毎日来ていた。男の子なのにもの静かなドンスは、頭が良い子どもだった。図書館に勉強しに来る上の学年の子や大学受験生などに交ざって勉強しても、学校に通っていないのに理解力が高かった。ドンスに勉強が好きかと聞いたら、面白いと答える。日に日に痩せていく12歳の子を、なぜかまっすぐ見ることが出来なかった。
4月に嫁いだ夫の家が図書館の道路を挟んだ向こう側にあり、出退勤は楽だった。
5月にドンスに出会って、7月頃から朝ご飯の半分、おかずとおにぎりを図書館の片隅でドンスにあげるようになった。初日は受け取らなかった。私は新聞紙に包んだおにぎりをテーブルの上に置いて仕事に戻った。時間が経って行ったら、おにぎりがそのままあった。「ネズミが来ちゃうから、食べましょう」と、その小さいおにぎりを半分わけてドンスの手に乗せた。私が食べるとドンスも食べた。図書館の静けさが私の背中を重く押してきた。
北朝鮮住民は「貧困」について語ったり文句を言っても死刑になる。
「貧困」と「不幸」と「貧富の差」は資本主義の象徴で、北朝鮮では「忠誠」と「万歳」と「幸福」だけを語らないといけないのが鉄則だ。金氏一族は「北朝鮮の社会主義は世界で唯一無二の偉大なもの」だとし、北朝鮮住民は洗脳され、その虚像の「幸福」に酔って正常な思考が出来なくなっていた。北朝鮮以外の世界について何にも知らない北朝鮮住民は、金氏一族とその側近たちの言葉を死にかけながらも信じていた。
(つづく) |