第2次世界大戦後、韓半島北部の地域統治者としてスターリンが選んだ人物、ソ連軍隊にいた多くの朝鮮人の中から選び金日成(元の名前は金成主)と名付けて北朝鮮にソ連軍とともに入ってきた人物は、見事な大悪魔だった。
日本に来てからヒトラー関連本は読んでも、スターリン関連本には未だに向き合えない。北朝鮮の実態と境遇が似ている本や映画等は、今もストレスになっている。アメリカのユダヤ人博物館館長が定年後に書いた本は北朝鮮と似ている部分が多くて、読んでは休んでを繰り返し3年かけて読み終わったことがある。
北朝鮮は1989年に東ヨーロッパの社会主義国家が解体される前まで、第2次世界大戦に関するソ連の映画と記録映画などを通じたナチス教育が日帝植民地時代の教育より多かった。気狂いヒトラーと第2次世界大戦を勝利に導いたスターリンを対比して、スターリンの偉大性をアピールしていた。
しかし私たちは金日成の後ろ盾だったスターリンに対して無関心と無視という形で、金日成らに対する不満をほんの少し噴出した。
北朝鮮では金一族の統治者の名前の前後に必ず決まっている呼称を付けないと政治犯とされて、その取り締まりは金日成に関して一番強かった。
政治行事のときに付ける呼称はとにかく長く、中でも金日成の呼称が一番長かった。金正日に付けた呼称は1200個もある。「不世出の領導者」「21世紀の燦爛たる太陽」「希世の政治家」「民族再生の恩人」「慈愛深い父」今読んでみると吐き気がするフレーズを、北朝鮮にいるとき毎日何十回も唱えていた。
金日成に付ける呼称の中で一番重要なのは「祖国光復の伝説的な英雄で、祖国解放戦争を勝利に導いた百戦百勝の鋼鉄の霊長……金日成大元帥様」と長い呼称だが、この二つのパーツの信憑性を守るために殺したり政治犯収容所に閉じ込めたりした人は数十万にのぼる。
最初は宗教人を、南労党(韓国=南朝鮮労働党)を、ソ連派を、中国派を次々粛清して、死を免れた者には恐怖を与え、口を閉ざすよう仕向けた。
金日成の嘘の功績を守るためにあまりにも無差別に殺したから、政権譲渡後の復讐などを恐れての強硬策が金氏世襲だった。
金氏崇拝世襲の一等功臣が日本の中央大学で勉強していた故・黄長燁だったことで、金日成からの金氏崇拝の場面ごとに日帝時代の天皇崇拝と重なることが多く、死にながら「天皇陛下万歳」と「偉大なる金日成元帥様万歳」を叫ぶのは全く同じだ。
北朝鮮の平壌には、金日成が日帝植民地から朝鮮民族を解放して故郷に戻ったことを記念する「凱旋門」が建てられ、国内外からの平壌訪問時には必ず訪れる見学コースである。外国人は普段着で何にもメモしないで解説案内員の説明を聞いているが、我々北朝鮮国民はそうすると大変なことが起きるのだ。
「凱旋門」見学の時は見なりを綺麗にして、指定ブックに何回訪れても毎回きちんとメモしないといけなくて、それと同じ行動を在日朝鮮学校の学生がしているのを見て虚無感で悲しくなった。
「凱旋門」の偉大なる歴史が嘘であることを知りながら、組織統制下で仕方なく従う北朝鮮国民と同じ行動をするなんて、外国人のように振る舞えばいいのに…。
日本でも在日コリアンは韓国系と北朝鮮系とに分かれていて、北朝鮮を離れても8・15以降の分断の痛みが生々しくてとても悲しくなる。
差別はとても悪いことだが、自ら誤解を招いて差別につながる出来事もあると、私は北朝鮮での自分の経験からよくわかっている。慰安婦問題には声を上げて、拉致問題や北朝鮮人権問題には何も言わない在日朝鮮学校の偏った理念は、まさにそうだと私は思う。
12カ月の中で一番嬉しくない8月である。
(つづく) |