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2020年03月11日 00:00
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大韓民国の建国史(187)後進国の貧困からの脱却という人類史的な成功例

 朴正熙は1967年、李源萬の要求を受容れて、ソウル九老洞の「九老工団」と呼ばれた、韓国輸出産業公団内に在日韓国人企業家専用の輸出公団を設立することにした。今はソウルデジタル産業団地と呼ばれる九老工團は、64年5月から、第1団地3団地が造成された。韓国の産業化と輸出増大の象徴的存在の一つだった。
今日のサムスングループを創業した李秉喆が、5・16軍事革命の直後から朴正煕将軍との出会いについてはすでに触れてきた。韓国経済人協会の初代会長だった李秉喆は63年、韓国日報に5回にわたり連載した「われわれが豊かに生きる道」という寄稿を通じ、韓国経済が進むべき基本方向を提言した。彼は自然資源が非常に乏しく資本蓄積が貧弱な韓国は、200年前に産業革命を成し遂げた英国のような過程をそのまま歩む余裕など全くないと断言した。
彼は、韓国が余りにも遅れているため、本当に飛躍的な手段と方法を講じないと、貧困と立ち遅れを克服することができないと主張した。李秉喆は、経済発展の古典的な政策措置の代わりに外国から借款を導入し、まず大企業を育成し、その成果をもとに中小企業や農業などを発展させる下降式の戦略を提案した。
李秉喆の計算によれば、今後10年間、米国、日本、西欧から外資を21億ないし23億ドルを導入、工場1000個を建てれば、従業員を50万人雇用して250万人の家族を扶養することができる。さらに下請け工場と流通段階の雇用まで加えれば、500万人を扶養することができる。
そうなれば、農村の1500万人口の3分の1を都市が吸収し、農業の生産性を向上させることができ、そうすれば、10年後1人当たりの国民所得を倍増できるという結果が得られると国民に訴えた。このような構想は、国内外の経済学者たちの誰も言わなかった創造的なものだった。だが、この夢のような構想は、朴正煕政権によって韓国経済の高度成長の過程で現実となった。
李秉喆が特に指摘したのは、韓国の貧困は、人材の不足、政治のリーダーシップの欠如という点だ。彼はその根源が、朝鮮王朝以来の事大主義、鎖国主義、党争、精神の退嬰にあると指摘、精神文化の変革を強調した。貧困を清廉や清貧と糊塗し、名分を重視したが、現実は不正腐敗と猜忌と謀略が蔓延する社会になったと批判し、軍事革命政権が成功した起業家たちを不正蓄財者として処罰した不当性に抗議したのだ。
軍事革命政府がいくら開発戦略を推進しても、李秉喆に代表される、優れた洞察力の企業家たちがいなかったら、開発戦略は成功しなかった。後に多くの発展途上の国々が韓国の近代化戦略を模倣しても成功できなかったのは、朴正煕のビジョンとリーダーシップ、野心的な近代化戦略を支えた企業家の存在がいかに重要だったのかを物語る。
20世紀の後半、世界で米国と同盟を結んでいながらも、後に韓国と比較される国々が少なくない。韓国よりも環境条件が良かったにもかかわらず、政府の経済開発戦略とそれを支え実践した民間企業の存在と役割において対照的な選択をしたため、国民を貧困に落としたという、歴史的教訓を見ることができる国の一つが、フィリピンだ。
フィリピンは60年代までは韓国が羨んだアジアの先進国だった。ところが、フィリピンは経済発展戦略において韓国とまったく異なる道を選択した。(つづく)

2020-03-11 3面
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