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2019年11月20日 00:00
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海を渡った先人達<27> 先人6人目 允恭天皇②

 未斯欣が新羅に逃げ帰った年は、新羅本紀の『訥祇王の二年(418年)秋、王の弟、未斯欣が倭国から逃げ帰った』という記述から、418年であったことが確認できます。未斯欣(=允恭天皇)は、倭国に16年間も滞在していました。
日本書紀には、宮の場所が記されていませんが、古事記には、「遠つ飛鳥の宮」とあります。「遠つ飛鳥」について調べると、何と、現在の明日香村一帯のことだそうです。本来の飛鳥の場所は、大阪府柏原市の大和川以南の地域で、古代には「安宿部」「飛鳥部」などと表記されていたとのことです。
允恭天皇(未斯欣)は、明日香のどこかで人質生活を送っていたことになりますが、重い病気に罹ってよく歩くこともできなかったため、新羅に良い医者を求めて治療に当たったところ、病が治ったこと、また、皇后「忍坂大中姫」の妹の弟姫(衣通郎姫)に心を奪われ、妃に迎えようとしながらも皇后の嫉妬に悩まされる天皇の姿、そして、姉である皇后への遠慮から、天皇を拒み続ける弟姫の葛藤など、日本書紀に事細かに記されています。
未斯欣が一時帰国することが許されたのは、418年のことでした。未斯欣の帰国に際して、「三国史記・雑志列伝・朴提上」には、次のような興味深い話があります。
『実聖王元年(402年)に倭国と和親を結ぶ時、倭王は、奈勿王の子未斯欣を人質として請うた。実聖王は、かつて奈勿王が自分を高句麗へ人質として遣わしたことを恨んでいた。そのために、倭王の請求を拒まないで彼を派遣した。10年後には、未斯欣の兄・卜好も高句麗の人質となった。
未斯欣や卜好の兄である訥祇王(在位417~458)が即位するにおよんで、弁説の上手な者を選び出し、未斯欣らを連れ戻そうとした。訥祇王は、提上に二人の弟の救出を命じたのである。
訥祇王二年(418年)正月に、高句麗から無事に卜好を連れ戻した提上に、次に未斯欣を連れ戻すよう命じた。偽りのはかりごとで王子を連れ戻すことにした提上は、決死の覚悟で、倭国に向けて船出した。
やがて、倭王に会った提上は、あたかも国に背いて来たかのように振る舞った。しかし、このころ、高句麗と新羅が共謀して任那に侵略しようとしているという噂があったため、倭王は兵を出して新羅との境界を警戒していた時、たまたま高句麗が攻めて来て倭国の兵をことごとく殺したことがあった。そのため、倭王は彼を疑ったのである。
しかし、新羅王が、未斯欣らの家族を監禁したということを聞いた倭王は、提上がほんとうに本国に背いた者だと信じた。ここで、兵を出して、まさに新羅を襲おうと、提上と未斯欣に道案内をさせることにした。
対馬まで来た時のことだった。倭国の将師たちが、新羅を滅ぼした後、提上と未斯欣の妻子を捕らえて帰ろうと相談した。これを知った提上は未斯欣を舟遊びに誘い、倭国の将師たちの陰謀を伝えると、密かに本国へ帰ることを勧めた。提言を受け入れた未斯欣は泣きながら提上と別れ、本国に逃げ帰った』

2019-11-20 6面
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