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2019年09月19日 00:00
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研究者が見た義士・元心昌<第2回>
平澤の独立運動家・元心昌への評価

 「独立運動の時期をどう捉えるか」という話になる。日本統治時代以後と見るべきか、日本が本格的に帝国主義へと踏み出した頃と見るべきか、という話だ。
現在、国家報勲処が定める独立有功者の基準は、1895年の乙未事変を起点としている。つまり、独立運動を「帝国主義を選んだ日本の韓半島侵略に対し積極的に対応したこと」と解釈することができる。
元心昌の故郷である平澤では、激しい独立運動が展開された。19世紀末、日本が韓半島統治への野望を示し始めた頃から、韓半島を統治していた1945年まで継続されていた。
1908年の冬、平澤では義兵闘争が起きていた。杜陵里に義兵20数名が駐屯していた証拠だ。ただし、義兵闘争は激しいものではなかった。
平澤の代表的な独立運動としては、1919年の3・1独立万歳運動が挙げられる。ソウルより9日遅く始まった平澤の3・1運動は、管内で万歳運動を展開し、独立の意志を明白に示していた。その後は独立運動の軍資金募金運動にも積極的に参加した。
独立運動は、1920年代中盤からは個人の能力を養成する方向へと転換され、学校を設立するなど教育運動に注力する形となった。
平澤地域の独立運動において、最も多く独立有功者として認められたのは3・1運動だった。3・1運動に多くの市民らが参加し、その結果として独立有功者も多数輩出した。
政府が認定する平澤出身の独立有功者は30数名。独立有功者の勲格のランクは、大韓民国章、大統領章、独立章の順だ。平澤出身者の中で、ランクの高い有功者は安在鴻と元心昌で、独立章に追敍された。
安在鴻は1917年3月、朝鮮産織奨励禊(民族の経済的自立を目的とした韓日運動組織)に参加した後、3・1運動以後、大韓民国臨時政府の支援を目的に組織された「大韓民国青年外交団」という秘密結社の総務として参加した。この事件では懲役3年の判決を受け、服役した。その後ジャーナリストとして朝鮮日報主筆として活動し、新幹会運動に参加した。彼は筆禍事件と朝鮮語学会事件、軍官学校事件などでトータル9年間服役した。
一方、元心昌は3・1運動への参加をはじめ、日本に渡りアナーキストとして活動した。活動団体は無産学友会、黒友会、朝鮮無産者同盟、黒色運動社、黒色戦線連盟、黒色青年連盟、不逞社、黒風会、黒友連盟などだ。1929年、学友会事件により日本での活動が不可能になると、30年に活動拠点を中国へと移した。中国では南化韓人青年連盟、黒色恐怖団に参加し、天津日本領事館に爆弾を投擲。続く33年には、上海六三亭義挙、即ち当時の有吉明・駐中日本大使の暗殺を企てた。この義烈闘争により元心昌は日本で無期懲役を言い渡され、解放後までの12年6カ月間服役した。
このように、元心昌は安在鴻と共に平澤を代表する独立運動家として評価されている。
独立記念館には、独立章以上を受勲した独立有功者たちの句碑が建てられた追悼の場がある。平澤を代表する独立運動家の安在鴻は、句碑が建てられている。
しかし、元心昌の句碑はどこにも見当たらない。
現在まで建てられずにきたことは、もはや驚きでしかない。今からでも、元心昌の独立に対する意志を込めた句碑を建て、彼の功績を後世へと繋いでいくべきだ。
(成周鉉・崇實大教授)

2019-09-19 3面
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