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最終更新日: 2020-02-19 00:00:00
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2019年09月11日 00:00
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海を渡った先人達<17> 先人4人目 神功皇后⑥
鈴木惠子


『356年(新羅本紀)昔訖解王崩御。金奈勿王即位』 
この年に昔氏を制圧した金氏が斯盧国を新羅国に改めました。その後、昔王朝の亡命者が九州の日向の地に渡って来たようです。宮崎県の西都原遺跡の4世紀末~5世紀初頭頃の古墳から、多くの伽耶の遺物が出土していることから確認できます。
『359年(日本書紀333年)武内宿禰が敦賀の笥飯大神にお参りした後、大殿で大宴会を開いた』
この年は書紀では333年に当たり、26年の差異がありますが、この記述の後、26年間の空白があるので、それを埋めると333年+26年=359年になります。書紀の編者は仲哀天皇の崩御年を26年引き上げて320年に設定したため、ここで調整したと考えられます。
このとき大殿で大宴会をしたのは、誉田別皇子の天皇即位の祝宴と思われます。皇太后はお祝いの言葉を述べられ、『この神酒は私の酒ではない。クシの神で常世にいるスクナの神が醸して、天皇に献上してきた酒である。さあさあ、残さずにお飲みなさい』と歌ったのです。
実は、天皇に即位した誉田別皇子は、武内宿禰であろうと考えています。武内宿禰が生まれた年は、景行天皇三年(313年)の『屋主忍男武雄心命が影媛を娶って武内宿禰を産ませた』との記述から、313年頃と考えていますが、神功皇后が皇后になった年と一致しています。大胆な推測ですが、斯盧国の急利の娘と思われる神功皇后は、倭国に渡って来る前に妊娠していて、敦賀の笥飯宮で武内宿禰を産んだのではないでしょうか。
そして、武内宿禰は、神武天皇でもあるようです。そのように考える理由は、次のようなことからです。
(1)神武天皇の東征の出発地は日向国であるが、日向国は武内宿禰の一族である昔王朝の亡命者が移住した地である。
(2)神武天皇の即位年は辛酉(紀元前661年)とあるが、西暦361年も辛酉年であり、武内宿禰が即位したと思われる359年とほぼ一致している。
(3)神武天皇は50歳頃に即位しているが、武内宿禰も47歳頃と思われるので、ほぼ一致している。
(4)誉田別皇子(武内宿禰)は、大和国磐余で皇太子に立ったが、神武天皇の名「神日本磐余彦」との関連性が認められる。
また、武内宿禰=誉田別皇子の父は、大加羅の王子ツヌガアラシト=天日矛=笥飯大神であり、大阪市東成区の比売許曾神社の祭神シタテルヒメ(またはアカルヒメ)は、母の神功皇后であるようです。
ツヌガアラシトの話は、日本書紀の垂仁天皇紀にあります。要約すると、『所有する牛を村人に食べられてしまった大加羅の王子は、代価として白い石をもらった。やがて、白い石は美しい娘になったが、目を離したすきに逃げてしまった。東の方に行ったという娘を追って行くと、日本国に入った。娘は、比売許曾の社に祭られている』というものです。

2019-09-11 6面
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