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最終更新日: 2019-07-18 00:00:00
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2019年07月03日 00:00
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大韓民国の建国史(159)経済企画院の枠組みを設計、行政府の中の地位

 朴正煕は自らの機智に驚いたように席を立った。張都暎議長が社会棒を打つ余裕もなかった。このように誕生した建設部は、その後2カ月間、財務部から予算局、内務部から統計局を吸収した。建設部傘下の国土建設局は内務部の土木局を吸収し国土管理庁となった。この国土管理庁は建設部が経済企画院に拡大改編された後、性格が異なる建設部へ昇格する。
経済企画院の新設作業は当時37歳の宋正範(後に経済企画院副院長など歴任)が実務を担当することになる。宋正範は自由党政府の復興部企画局長と調整局長を務めながら、産業開発委員会の経済開発計画の作成に参加した。宋正範は1960年3月、ワシントンの世界銀行(IBRD)傘下の経済開発研究院に派遣され、経済開発に関する教育を受けた。各国で経済開発に参加した官僚たちが講師として経験と理論を紹介した。宋正範は当時、陸軍参謀総長を退任、米国に来ていた宋堯讚備役中将と知り合った。
宋正範は61年3月帰国したが、頻繁な機構改編で補職が決まらず自宅で米国で勉強していた本を読みながら過ごしていた。軍事革命が起きるや最高会議の財経委員の柳元植大領を通じて最高会議へ呼ばれた宋正範は、混沌としていた事務室へ出勤するのを断念し自宅か韓国銀行調査部に出て時間を費やしていたという。
最高会議は6月22日、民間人の金裕澤を財務長官に、ソウル大教授の申泰煥を建設部長官に任命した。金裕澤長官は、宋正範に当面の経済対策に対する起案を頼んだ。宋正範は「革命後は長年の経済的宿題を一挙に解決するより自由な雰囲気が保障される施策を先行すべき」という旨で起案した。
金裕澤長官はその内容を受け入れ発表文を作成しながら、宋正範に「後に残るような名句はないかね」と尋ねた。宋正範は西ドイツの経済復興を主導したエルハルトゥ副首相が書いた『競争を通じての繁栄、ドイツの奇跡の経済学』で読んだ「ライン川の奇跡」という言葉を思い出した。ライン川の奇跡を韓国でもなして見ようとの思いで即座に「漢江の奇跡」を発表文に加えた。
7月の初め、米国で知り合った宋堯讚予備役中将が内閣首班になって宋正範を呼んだ。宋首班は宋正範に「国防研究院から2人を選んだから一緒に企画官庁(経済企画院)創設を研究して欲しい」と指示した。宋正範は2人の大領と一緒に作業を始めた。国の暮らしの枠組みを新しく組むため、どういう形が良いかなどを模索した。宋正範は当時をこう語った。
「48年、建国当時も国務総理の下に企画処があって予算編成の機能を持っていたが、建国初期の混乱では、開発計画を前提とした機能は想像できませんでした。55年に登場した復興部は援助業務のみで、予算編成権は財務部にあり、財源が二つに分離運営された二元制でした。そういう欠点を解決するためには、財源を1カ所に集めねばなりません。私たちの最初の結論は、計画と予算の一元化が必要ということでした。もっと大きな問題は、経済企画院長の機能と行政上の地位の問題でした」
宋正範は計画と樹立、実行と調整に強力な実践力を与えるためには経済企画院長に副首班の格が必要と強調した。海外の事例も参照した。日本の経済企画庁やインドの「企画委員会」も韓国の実情に合わなかった。世界銀行で比較研究された開発機構に対する材料とミルダル教授の『決済理論と低開発地域』の本は参考になった。(つづく)

2019-07-03 3面
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