たんぽぽ
ガヤグムは北朝鮮が最も重要視する女性の楽器である。ガヤグム独奏・ガヤグム独唱・ガヤグム並唱などがあって幼稚園から人民学校(小学校)、各年齢別の芸術団、各組織別の芸術団にガヤグム班やガヤグム組があった。
個人や班、組同士の張り合いは、ガヤグムを弾く技術だけではなく、あらゆる面で激しかった。女性だけが演奏することができ、国が重要視する楽器であるということは、つまり金日成や金正日などの目に留まる頻度が高いということだ。すなわちそれは、北朝鮮において最高の贅沢な暮らしが保障されることを意味する。
自分自身が選ばれなくても、偉い人たちの目に留まり抜擢される人が出た班や組は、北朝鮮なりの「名誉」が与えられ、出世と贅沢な生活に直結する。ガヤグム界は、幼い子の両親から年輩の女性まで、みんながその機会を目指してしのぎを削る戦場といっても過言ではない。
そのためガヤグムを弾く人を選抜する基準は、ほかの芸事と比較してもかなり厳しい。先生たちも賢く立ち回り、金日成時代は彼の好みに合わせて顔が丸く頬がふくれた女性を選び、金正日時代は目鼻立ちがくっきりしている洗練された顔を中心に選んだ。もちろん、身分が一番大事な資格だということは言うまでもない。
またガヤグム界は芸歴の長い人が多く、大半が4~5歳から始めている。両手の指先の肉が一番盛り上がっている部分を使うため、その部分に水袋ができたり、破れて出血したりする。しかし練習を中断することは一切ない。最初は音符を覚えるより楽器との戦いだ。幼い頃から習わせるのも、痛みを感じるのが多少でも鈍い時期から習わせた方が良いと、大人たちが考えたからではないかと私は思う。
幼いうちは本人の意思というより親の願望が勝っている。先生も親も、子どもが痛くて泣いても優しくしてくれない。むしろ、より厳しく叱って練習させるのだ。バイオリンやチェロ、コントラバスの子たちも痛がったけど、ガヤグムほどではなかった。
父の友人のおじさんのおかげで、音楽班が練習しているホールの隅で帰宅時間まで待っていたが、泣きながら練習している子を見ているのも大変だった。休み時間にその子たちの手を見ると私の顔が自然に歪んでしまい、その歪んだ私の顔をみて手が痛い子が笑ったことが幾度もあった。
彼女たちはガヤグムを弾くことが嫌いだけど、やめると言うと練習のときより酷く怒られるし、しかもやめることは許されないと知っていた。その頃の幼かった私でも、そのあたりの事情は分かっていた。今考えても不思議で、なぜ私たち子どもがそんなことを理解できたか分からない。
ところが、ガヤグムから出てくる音色に最初は耳が反応し、次は心が、体が反応してしまい、私はガヤグムを弾き始めることとなる。音を調律する際のバイオリンの高い音などは、気が触れた女性が怒る声に聴こえて嫌だった。対してガヤグムの高い音は、心が優しい人が怒っているかのような印象だった。
後に、人は目ではなく心でものを見たりもするんだと悟った。17歳で音楽と縁を切るまでは、バイオリンを弾く人に対しては、その人が私になにも悪いことをしていないのに少し距離を置いていた。
ガヤグム組の子たちはみんな可愛い顔立ちをしていて、公演で着る服でリハーサルをしているときは、少し前の痛い顔の彼女らを見て辛かったことなど全部なくなり、楽しい気分になった。これがガヤグムが奏でるメロディーの魅力なのかと、もう少し大きくなった時に考えたことがあった。
そんな厳しいガヤグム界の「資格」に大いに欠けている私が、自ら足を踏み入れようとしたのである。午前中の授業で毎日繰り返し学んでいた「敬愛する父、金日成元帥さま幼い頃の物語」は全部覚えてしまい、「敬愛する父、金日成元帥さま革命歴史研究室」の可愛い模型にも飽きてきていた。
家では電気もなく暗い中で6歳と8歳の姉と一緒に、兄が作った夕食を食べて寝て…。こんな退屈な毎日の暮らしの中で、何か自分でもわからない人間本能の「集中」と呼べるようなものが、私にとってはガヤグムであったと思う。
(つづく) |