崔在羽
大気都比売という神女が死ぬと、その五穴(口、鼻、尻など)から五穀と蚕が出て農作が始まったと記紀に書かれていますが、この五穀と韓国人が毎年陰暦の1月15日に食べる五穀が同じなのです。韓国からの神女が渡来して農業を教えたことを物語っているといえます。
新羅は天照大神にとって帰りたい故郷でもありながら、いっそのこと征服してしまいたい他国でもあるのです。これが「こじれ(葛藤)」の根です。
神功皇后による新羅征伐がその最初の現れです。その征伐が神託であったことも不思議ですが、その神託に天照大神の指示があるのも不思議です。
神功皇后は、新羅の王子・天日槍の7代後孫だと古事記に書かれています。天日槍が渡日したいきさつは古事記、日本書紀ともに書かれています。
新羅の国に阿具奴摩という沼があり、その沼のほとりである女が寝ていましたが、陰部に虹がかかって妊娠し、赤い球を生みます。これを見た男が、その球をもらって保管していました。ある日この男が牛を引いていく途中で、王子である天日槍に出会います。天日槍から牛泥棒と疑われた男は、赤い球を差し出して放免されました。
さて、天日槍がその球を床に置いて寝ていると、その球から美しい女が生まれて、天日槍の妻になりました。妻は山海珍味の料理を作って天日槍に仕えましたが、天日槍は妻をいじめていたのです。
ある日、妻が「私はあなたに料理なんかを捧げる卑しい女じゃないから、故郷に帰ります」と言って、船で日本の難波(今の大阪)に行ってしまいました。天日槍は追いかけましたが、海神が邪魔をして難波に上陸できませんでした。仕方なく反対側の但馬に上陸して地元の女と結婚します。
神功皇后はその7代目の孫なのです。本当に解釈が難しい神話ですが、そもそも新羅の王子の後孫が新羅を征服したというのだから、「葛藤」そのものでしょう。
倭による391年の新羅攻撃は実際にあったことですが、このころは神代が終わって国造りがようやく完成したあたりです。それでも新羅征伐ができたのは、渡来人で新羅をよく知っていたからです。この攻撃があまりにも強かったので、高句麗の広開土大王が助けに来たほどです。これは神話でなく、広開土大王の功績を書いた碑文にも書かれている事実です。
また、足が3本の八咫烏が伊波礼批古命の道案内をしたという話が記紀に書かれていますが、「足が3本の烏」は古朝鮮族が尊敬したトーテムでした。その烏が日本に来て道案内をしたのですから、伊波礼批古命は朝鮮族だと考えられます。
天皇家が半島人だという見方は以前からありました。在日韓国人・金一勉氏は天皇家の始祖の故郷が半島の伽耶があった地域である咸安だと主張する本を書きました。それが事実かどうか分かりかねますが、天皇家に韓国人の血が入っていることだけは否定できません。ただし、隣国の王の話ですから考証には慎重さが必要です。
天皇家は万世一系ということになっています。古代から今日に至るまで家系が断絶されたことがなく、いかなる乱世にも天皇家を廃する動きはありませんでした。第2次世界大戦後、一部の人が主張しましたが、ごくわずかでした。