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2019年03月13日 00:00
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新生 韓国と日本 2
日本を見直し、韓国を再考する

崔在羽

 父は壌陽で「壌陽堂印刷所」を営みながら、郡守、警察署長、駅長、郵便局長、学校長に至るまで偉い地位にあった日本人と親しくなっていきました。わたしも多くの日本人に可愛がってもらい、日本人の良いところも悪いところも学びました。小説もずいぶんと読みましたので、日本人の情緒に通じることも出来るようになりました。
いざ独立すると半島は南北に分断され、壌陽は38度線の北側にあるため、北朝鮮の領土となりました。父はいわゆる「地方の名士」で壌陽人民委員長にはなりましたが、「裕福な親日」でしたので、いずれ粛清されると分かっていたと思います。父は小さな漁船を借りて、真夜中に38度線を越え南にある三渉という小さな漁村に逃げました。いくばくかの現金以外、全ての財産は捨てていきました。
朝鮮戦争が休戦になると壌陽は韓国領となったので、不動産を探しに行きました。しかし登記簿などはなかったため、土地を取り戻すことはできませんでした。つらい歴史です。
やっと故郷の慶州に帰りました。当時、日本語は使用禁止、日本の歌を歌うことも日本の本を読むことも許されず、私はたくさんあった日本語の本を捨ててしまいました。我が家は反日闘士でしたから、日本語の本やレコードなどはもってのほかでした。
そうなると読むものがありません。当時の印刷所にはハングルの活字がなかったため、教科書は謄写版で刷っていて、ハングル文字の本も雑誌も新聞もありませんでした。
わたしは幼いながら「これではいけない」と思いました。日本が敵であることには違いないが、敵が何をしているか知るべきだし、それには日本語が分からなければいけないと考えたのです。それで母に叱られながらも、日本語の本を買い集めました。もちろん、本屋がある訳はありません。古紙屋で本をさがして、秤で計ってもらい古紙の値段で買いました。そのため、けっこう高価な本も安く買うことができたのは幸運でした。
そうやって日本語の本を読み続けました。歩きながらも読みましたし、学校にも持っていきました。大人ならケチをつけられたでしょうが、子供のやることなので、「日本語を読むやつだ」と指をさされるくらいですみました。当時を振り返って今でも不思議に思うのは、あれだけ怒っていた母が、本を破り捨てたりはしなかったということです。
わたしが32歳のとき、方子妃殿下(公式では女史)が日本から韓国へ帰国され、古宮の片隅に暮らす最後の王家になりました。しかし、王家に韓国語を話せる人が一人もいなかったのです。これは悲劇です。植民地だったからといっても、あまりに寂しいことです。李王は中風(脳卒中)で口がきけないまま入院中でした。方子妃殿下は日本語、ご子息の李久殿下は日本語と英語、結婚相手であるジュリア妃殿下は英語しか話せなかったのです。

 

2019-03-13 6面
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