米国側は翌日、丁一権大使に迎接のレベルを変更したと伝えた。ジョンソン副大統領とラスク国務長官が空港に出迎え、儀仗隊の栄誉礼があり、朴議長がホワイトハウスに到着すると、ケネディ大統領が玄関で迎えるという。サミュエル・バーガー駐韓米国大使は、1961年10月28日付の国務省あての電文で革命政府を絶賛した。
<軍事政権が5カ月となった。この政権は対外的な印象は多少悪いが、情熱的かつ誠実で想像力と意志に満ちている。一般国民からは積極的に支持されておらず、大衆的支持基盤もないが、真の「上からの革命」を始め、全面的で本質的な改革をしている。前政権のとき構想された改革プロジェクト銀行の信用政策、貿易、失業者のための公共工事、脱税対策、農業と労働組合への対策、教育、行政部門、福祉(刑務所の改革、売春婦対策、家族計画事業、傷痍軍警や遺児支援)などが実践されている。改革は肯定的で相当数は米国の忠告を受け入れたものだ。
一部の改革措置は意図は良かったが急ぎすぎてうまくいかない。革命政府は誤りがあるとそれを認め修正する姿勢を見せている。買占め、売り惜しみ、賄賂、政経癒着、軍事物資の橫流、暴力団、警察と記者らの恐喝行為に対する取り締まりは、すでに効果を出している。共産党の浸透工作への査察や反共宣伝の質と量が増えた。軍人出身の長官らは仕事を有能かつ効率的に指揮し、私たちは大きな感銘を受けている。過労で倒れる人が多いのが問題だ。宋堯讚内閣首班は1カ月も健康状態が良くなかった。最も有能な長官の丁來赫商工部長官は、閣議中倒れ2週間の休暇ののち職務に復帰した。
経済企画院長官は2カ月間の休憩を命令された。朴正煕議長も過労状態だ。しかし、最高会議と内閣間の機能と責任の明確な区別の不備のため、有能な長官たちの効率性が多少阻害されている。一部の最高会議委員が内閣の決定に干渉し、軍人出身長官の一部は内閣首班を無視することもある。
宋堯讚内閣首班は、最高会議の機能を立法活動に限定させ、内閣が行政を担当するよう努力している。彼は最初からクーデターに加担したメンバーでないうえ、李承晩政権のときの経歴や野心を持っているとの疑いなどで指示がうまく通らない。大多数の国民は傍観者的だ。このような態度は悲観的な態度と区別されない。それは韓国人たちの、支配層への根深い不信のためだ。この革命がどうなるかを予測するのはまだ早い。
最高会議の中で分派主義が生じている証拠もある。先月の9月、深刻な事件があった。つまり、金鍾泌情報部長と大領級が咸鏡道出身の将星たちを除去しようとした。内部の権力闘争を許さないという朴正煕議長の確固たる意志で状況は安定を取り戻した。不正腐敗が上層部で現れる兆しも見られる。朴正煕はそんな不正があれば公開して無慈悲に処理するという姿勢だ。朴議長に多くがかかっている。彼は最も冷静で頼もしく安定した指導者だからだ>
サミュエル・バーガー大使は、革命政府への二つのリスクは、来年度の物価高騰の可能性と金鍾泌情報部長の独走と分析した。
<情報部は政府の番人として大きな組織を持ち、盗聴、情報網、郵便検閲、令状のなしの拘禁、自白強要をしている。政府、軍部隊、わが大使館、そして最高会議と内閣の要人たちも不安を感じている。朴正煕もこの副作用を知っているが、謀叛を探知、対応するのに金鍾泌に大きく依存している>
(つづく) |