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2019年03月06日 00:00
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【新連載】新生 韓国と日本
日本を見直し、韓国を再考する
崔在羽

日本研究のきっかけ(1)

 わたしは日本に生まれたわけではなく、住んだこともなく、留学したこともありません。大学で政治学を専攻していましたが、当時大学には日本語科や日本学科はありませんでした。こう聞くと、皆さんは疑問に思うでしょう。なぜ、そのような人間が日本に興味を持って研究し始めたのかと。それには宿命的ともいえるきっかけがありました。個人的なことですが、韓日関係の歴史の一部でもありますので、ここに紹介したいと思います。
祖父(崔成烈)は、三一万歳事件における慶州(かつての新羅の都)の指導者でした。満州で独立運動を続けていた結果、日本軍に殺されました。わたしが六歳のときです。
父(崔興出)は、日本の大阪の中学校に留学もしたインテリでしたので、日本の官吏から親日を強いられました。父は慶州近くの浦港という町に引っ越して、日本人の子どもしか通わない幼稚園にわたしを入れました。つまり「息子を日本人の通う幼稚園に入れて日本語を教えるから親日だ」という言い訳を作ったのです。
ここでわたしは幼い頃から日本人の子どもと遊び、日本語を話し、日本の漫画や絵本を読みながら育ちました。韓国が独立したときは小学校六年生でしたが、その頃には吉川英治の「三国志」が読めるくらいになっていました。
わたしが幼稚園に入ったのは、祖父が満州で戦死する前でした。戦死の知らせが届いて、我が家に集まってくる弔問客があまりにも多いことに驚いた日本の官吏は、父により積極的な親日活動を強制しました。慶州で印刷業をやれというのです。当時の慶州には会社や工場がありませんから、受注先は官庁(役所)だけということになります。日本の官吏と親しく成らざるを得ないし、それこそ活発な親日韓国人だというわけです。日本官吏のやり方は、なかなか狡猾だったと思います。
当時は、親日派は皇国臣民に育て上げ、反日的な人は消して(=殺して)しまえという時代でしたから、父は日本の官吏に従うしかありませんでした。しかし親日になるということは、祖父を尊敬してくれている人々を裏切ることになります。窮地に追い込まれた父は、印刷業をやる事はやるが慶州じゃなくて壌陽でやる、という妥協案を思いつくのでした。
慶州は半島東海岸の南にありますが、壌陽は中部にあり慶州から遠く離れた田舎の町です。当時は慶州から汽車を四回乗り替えて、二泊三日かけて行くところでした。そこで親日活動をしたとしても、慶州まで噂が流れることのない距離です。日本側としても父が慶州を去ってくれるのが有難かったようで、提案を受け入れました。
崔在羽 政治学教授、韓日共同韓日問題研究所幹事、仏教音楽舞踊普及会理事。著書に『国民倫理』(未邦訳)、『日本、その国の姿と人の顔 韓国人による日本の姿の再証明』(蒼洋社)など多数。

2019-03-06 6面
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