鈴木 惠子
名前の由来と鬼道
「卑弥呼」の意味ですが、現在では「日の巫女」が定説となっています。漢字を直訳すれば、「卑しさが満ちているものを呼び寄せる」となります。この「卑しさが満ちている」という「卑弥」について「魏書・韓伝」にある、馬韓50余国の中の一国「卑弥国」に注目しています。卑弥国については国名のみで詳細は分かっていませんが、馬韓には夫余人や高句麗人などの騎馬民族が居住していました。このことから推察して、卑弥呼とは「馬韓の卑弥国から呼び寄せた者」と解釈しています。ちなみに卑弥呼の中国語の発音は、(ビ・ミ・ホゥ)です。
次に、卑弥呼が行ったとされる《鬼道》について考えてみます。『魏書・韓伝』によると、「韓半島にあった馬韓・辰韓・弁韓などの国々では鬼神や天神を崇拝し、地方の主要な都市には人を任官して、天神のお祭りを司祭させていた。天神の祭りを司祭する人を天君といい、蘇塗という場所で大木を立てて鈴や鼓を掛け、鬼神に仕えていた」と記されています。魏書によると蘇塗には、諸国より犯罪人が集まっており、ここでの祭りは仏陀の教義を真似ていた、とあります。
同じような風習が、出雲地方と韓国の釜山に見出せます。
出雲地方では、年の初めに松や竹やむしろで高さ2メートルほどの円錐形の小屋を作り、中央に高さ10メートルくらいの大竹を立てて、祖霊を迎えます。これを毎年1月11日に作り、祭礼が終わると、1月16日に壊して「ドンド焼き」をするのです。ドンド焼き自体は、日本全国で今でも見られる風習です。大野晋の『弥生文明と南インド』によると、ドンドとは「古いもの」という南インドのタミル語だそうです。
類似する釜山の風習
祖霊を迎えるための円錐形の小屋は、仏陀の遺骨を安置した「ストゥーパ」に似ています。漢字で書けば「卒塔婆」です。そして、大竹を立てて祖霊を迎えることは、大木を立てて鈴や鼓を掛けて鬼神に仕えることに対応しています。
釜山では陰暦の1月15日に、蘇塗という神木を立て、その周りに松の枝や竹を円錐形に積み上げます。人々は月の出とともに、その周囲をぐるぐる廻るのです。
蘇塗で仏陀の教義を真似ていたとありますが、仏陀の教義とは「人間には魂があり、人間は死が終わりではない。魂は時を経た後、この世に別の肉体を得て生まれ変わる。しかし成仏すればこの世に生まれ変わることが無く、二度と人生苦を味わうことは無い。成仏することこそが、人間がこの世に生を受けた目的である」というものです。
仏教では、お堂の周りを右回りに廻って成仏を願います。釜山では、蘇塗と呼ばれる神木の周りを満月の夜、月の出とともにぐるぐる廻ります。この行為が、死者の霊の力を借りて成仏を願うものだと考えられます。
夫余の女王「麻余」は、おそらく天君の役割も兼ねていたと思われ、これらの祭祀は、倭の女王・卑弥呼が行った《鬼道》にも通じます。満月の夜、大木に鈴や鼓を掛けそれを打ち鳴らして死者の霊を呼び出していたのです。
月明かりに照らされて、大木の周りを踊りながらぐるぐる廻っている麻余や卑弥呼の姿は、鬼神(死者の霊)が乗り移っているかのように神秘に満ちあふれ、民衆はその情景にまさに魅惑されていたのです。