洪熒・本紙論説主幹
いわゆる政治の民主化以降30年間余り、特に「経済民主化」という旗の下、均衡発展と経済平等を追求してきた韓国は現在、全く目標でもなく期待もしなかった正反対の、低成長と二極化に直面したのだ。経済・社会的にも平等で公正な社会を作って先進国の仲間入りをすると、国民を眩惑してきた過去30年余りの結果は、より不平等になり、より公平でない社会となった。まさに荒唐無稽と言うしかない。
政治家を含め、知識人やメディアでこの問題を問う人はいない。なぜ、こういうことが起きてしまったか、30年以上にわたり韓国経済を左右し実験してきた政界と官界、知識人社会が答えるべきだ。
李承晩と朴正煕に続いた大韓民国の奇跡の40年と、ここ30年余り続いた「民主化時代」の成果を冷静に比較・評価し、過去から何を学ぶべきか、それとも何を捨てるべきか、これまで何を間違えてこのような荒唐なことが起こったのか、厳正な科学的分析を通じて究明するのが急務だ。
過去70年間、韓国と世界経済史の教訓が一つあるとするなら「経済の平等を追求する社会はより不平等になり、不平等を許容する社会はむしろ平等になる」というパラドックスだ。不平等を容認した韓国資本主義の成功と、絶対平等を追求した北韓の没落、自ら努力する国民を優遇した朴正煕時代の同伴成長と、逆に平等を掲げその後低成長と二極化、さらに世界の資本主義の繁栄と社会主義の没落の歴史がそれを物語る。経済の平等を掲げて成長する個人や企業を冷遇した経済体制は、例外なく低成長と二極化、さらには没落に直面した。
注意すべきことは、朴正煕時代の経済運営は自助・自立的競争の活性化を通じて不平等の可能性を開いて置くことで、動機付与を通じてすべての国民の成功への意志を最大限にし、同伴・包容成長を導いた。
一方その後、今日までの国家運営基調の共通点は、右派政府であれ左派政府であれ、とうてい実現不可能である幻想的な「経済の平等」を約束し、成功する人や企業を逆差別して国民の成功への動機を遮断し、自己の失敗を他人のせいにすることで、皆が失敗するようにする社会主義の理念を追従・伝播してきたのだ。
前者は資本主義市場経済の真髄を忠実に実践した国家運営基調であるのに対し、後者は社会主義の理念を志向する国家運営の基調であることを分別せねばならない。
国が皆を豊かにするという経済平等の実験をしては失敗するや、今は国民にお金を配れば、経済が同伴成長するという。財政支出の拡大が短期的な景気の安定に役立つかも知れないというアイデアを最初に提示したケインズさえも驚いて墓から飛び出るだろう。奇想天外な所得主導の成長を掲げ、曲学阿世を超え迷妄に陥った国民を幻惑している。
今、韓国は朴正煕時代の同伴成長のメカニズムの理解どころか、過去30年以上に及ぶ社会主義的な経済平等主義の実験が失敗したという反省もなく、むやみに低成長と二極化への道を疾走している。今ゼロパーセント成長の二極化時代が目の前に見える。
朴正煕大統領のように勇敢に「国民の責任」を語り、その責任を果たすよう導く指導者が必要だ。今こそ、朴正熙精神とリーダーシップが切実に必要だ。本当に朴正煕に道を尋ねるしかなくなった。「大韓民国は今、どこへ向かえばいいですか」
(つづく) |