新見工房代表 新見 寿美江
韓国の晩秋を告げる風物詩キムジャン。越冬に備え、春までに食べる白菜キムチを一家総出で作る光景は、今も各地で目にする。かつては、キムジャンボーナスもあったという。キムチ作りを陣頭指揮するのは、お母さん。味の決め手となるのは「塩」。塩は新安に限ると言われている。新安は韓国の南、全羅南道の西海岸に広がる大小の島々からなる郡。潮の満ち引きで広大な干潟ができる地域として知られている。
20年ほど前、光州市の市場で「新安の塩はどれも最高。中でも曾島の塩を使うとキムチの味が深くなるから、塩は曾島に限る」と言われ、曾島を訪ねた。この島の周辺はミネラル分が豊富な清浄海域とも聞いた。当時は、橋もなく車を運ぶフェリーに乗って島へ渡った。その後2007年に、イタリアに本部のある「スローシティ(CITTASLOW)」に認定され、しばらくして橋が架けられると瞬く間に島は観光地となった。その後も何度か足を運び、秋の訪れとともに4度目の旅をした。
| 塩の花が咲く結晶池。夕日を浴びながら、テパで塩の結晶を集める様子 |
夕焼けの中に、見慣れた塩田が広がっていた。この島で塩造りが始まったのは1953年のこと。ミネラル分を豊富に含む塩田は、曾島と隣り合うテチョン島の間にあった462万平方メートルの干潟を埋めて造られた。現在、単一塩田の生産量は国内最大とされ、造り方は創業当時と変わらない。塩造りの工程をひとことで言えば、自然と人だ。最初に干潟の近くに設けた貯水池(真四角の塩田)に海水を引き込み、蒸発池で蒸発と浄化を繰り返しながら17段階に分けた蒸発池を25日前後の日数をかけて順番に移動させ、徐々に塩分2%の海水から蒸発を繰り返し、最後の結晶池で22~25%の塩分濃度となる。それをテパと呼ばれる道具でかき集め、塩田の傍にある木造の塩の倉庫で1~5年ほど寝かせ、水分がなくなるのを待ち「塩」となる。貯蔵池や蒸発池から塩の花(結晶)を集め、倉庫に寝かせ「塩」として出荷されるまで最低でも1年以上はかかる。まさに、自然とともに造り出している。
何度見ても、塩田でテパを使って塩を集める作業の様子に惹かれる。最初に訪れた時、太平塩田の方から「塩田の作業は日中の気温の高い時間帯にはできない」「テパで集めた塩を運ぶのが重労働」と言われ、涼しい時間帯の作業というのは理解できたが、重労働というのはピンとこなかった。「やってみますか」と言われ、かき集めた塩を一輪車で倉庫へ運んでみた。「たいしたことない」と思っていた自分が情けない。水分を含んでいる塩は見た目より何十倍も重く、一輪車はビクともしない。力任せで押してもグラグラしてよろけてしまう。力だけでなく、バランス感覚も必要なのだ。
曾島で造られる塩は国内の70%を占め、人気の秘密はミネラル分の豊富さと言われている。1カ所の蒸発池で、海水から塩の結晶ができるまで長い時間を置く方法で作るよりも、貯水池から17段階の蒸発池を移動させることでミネラル分が多く含まれていく。塩田の人に「曾島で作られる塩には、しょっぱいと感じる塩化ナトリウムが低く、ミネラル分が高いんです。これは干潟の力です」と教わった。塩田の周辺には、干潟に生息する生物が見学できる遊歩道がある。ムツゴロウが顔を出し、塩生植物のアッケシソウが広がる風景からは、健康な干潟の様子が伝わってくる。健康な干潟であればこそミネラル分も豊富で「旨み」が生まれてくるはずである。スローフードの原点がここには息づいている。
新見寿美江 1987年新見工房設立。『るるぶ韓国』などを手掛ける。著書に『韓国陶磁器めぐり』『韓国食めぐり』(JTB刊)などがある。 |