洪熒 本紙論説主幹
衝撃を受けたケネディ大統領は国務省と米中央情報局(CIA)に韓国の状況に対して正確な評価報告書を提出するよう命じ、国家安全保障会議(NSC)にも新しい対韓国政策を立案するよう指示した。
しかし、国務省はファリ報告書に対して好意的でなかった。国務省も韓国の状況が不安定であることには同意したが、張勉総理の指導力が回復しつつあるため、米国が持続的な経済援助と適切な政治的支援を継続すれば、張勉政府は維持されるというのが、国務省の考えだった。国務省は、米国が韓国問題に深く介入すべきだというファリの提案を非現実的なものと見た。しかも、「4・19」の後、途方もなく成長した韓国の民族主義のため、内政干渉という非難を受ける恐れもあり、反米運動に直面し兼ねないというのが国務省の評価だった。
米中央情報局は3月21日、「韓国の短期的展望」という情報報告を国家安全保障委員会に提出した。中央情報局は「李承晩大統領を崩壊させた4・19の1周年を迎え、示威や若干の暴力的行為が起こるだろう…だが、現時点では反対集団と一般市民が感じる憤怒は4・19を惹き起した時ほどひどくない」と、韓国事態を短期的には悲観的に展望しなかった。
だが、この報告書は「韓国が経済的に非常に脆弱で政治的に不安定であるため、今後数年間は、内部的危機や脅威などが例外ではなく、通常の状況を表現する言葉になる」と結論を下し、韓国の展望が長期的に明るくないと評価した。
いずれにせよ、国家安全保障会議は4月初めからケネディ大統領の指示に従って、省庁間の見解の差を調整しながら、新しい韓国政策を作成する準備に取り組んだ。 5月初めには、この作業を担当する部署も指定された。だが、虚弱な張勉政府をいかにして断固とした社会経済的改革ができる政府に変えるのかという問題をめぐり政府内で意見がまとまらなかった。このとき、韓国でクーデターが起きた。ファリ報告書が予想した「最悪の場合」が発生したのだ。
韓国軍は6・25戦争後、二重支配構造が形成された。6・25勃発後、李承晩大統領が円滑な戦争遂行のため韓国軍の指揮権を国連軍司令官に渡した。これは1954年11月17日に締結された韓米合意議事録第2条で「大韓民国は、相互協議によってそうすることが最も有利であるため、変更する場合でなければ、国連軍司令部が大韓民国の防衛に責任を負う限り、その軍隊を国連軍司令官の『作戦統制権』の下に置く」と内容が変わり以降も継続されている。
これで韓国軍は韓国大統領の統帥権の下にいながら、同時に国連軍司令官の作戦統制権の下に属する二重支配構造に置かれた。このような二重支配の構造は、二つの支配力で協力がうまく行われるときは問題がない。しかし、両者の間に不協和音が生じ両方からの命令が異なる場合は、韓国軍部は選択の問題に直面することになる。
このような事態は、主に韓国の政治が激変や混乱に陥り、韓米間関係が微妙なとき発生した。そういう時、韓国軍部がどういう選択をしても、その決定はすでに高度の政治性を浴びる。したがって韓国軍の政治化は、それが二重支配構造の下におかれながらすでに始まったと言えよう。
韓国軍はその後も何度もそのような政治的決断をせねばならない状況に直面した。5・16の前も韓国軍は、すでに二度、つまり、釜山政治波動(1952年)と4・19のとき政治的選択に直面した。韓国軍は政治的中立を選択した。
(つづく) |