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2018年04月04日 00:00
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大韓民国の建国史(105)第2共和国の張勉政権に対する金日成の攻勢

洪熒・本紙論説主幹

 過激な学生たちは、張勉内閣の退陣を要求し、米軍撤退と社会主義および平壌の金日成体制までを擁護し始めた。第2共和国のこの混乱は、民主党の分裂と張勉政権など執権勢力の無能がもちろん原因だが、その背景には休戦体制という激しい冷戦構図があった。
大韓民国の建国に抵抗した共産主義勢力は、韓国戦争を通じても完全に一掃されなかった。特に、1958年頃から北側の平和統一攻勢が高潮し始めた。戦後の復興を推進してきた金日成は、韓半島からすべての外国軍隊の同時撤退、中立国監視下の総選挙、南北韓の交流と協商、南北の軍兵力削減などを主張した。
日本では、李承晩政権の末期にはすでに在日同胞北送事業が推進されていた。在日同胞の北送事業は、韓日国交正常化が遅れ、韓国人が日本の植民地支配の歴史を振り返り、韓日関係が反共同盟へと発展できなくした決定的な契機だった。この北送事業については後述することにし、張勉政権が混乱の中で沈没する過程での北側の対南工作を簡単に見てみる。
金日成は、6・25戦争中からすでに朝総連を動員して対日工作も活発に展開した。金日成は戦後復興に必要な人力の確保などのため北送事業を推進した。北送事業を通じて対南工作で頭角を現した人物が後に13年間も労働党対南秘書を務める金仲麟だ。金仲麟は1954年には、朝鮮赤十字会中央委員会常務委員になっていた。彼は、1929年2月、ジュネーブで開催された日朝赤十字会談の北側代表として北送事業が1959年12月に始まるようにした。金仲麟はこのときの活躍で金日成から認められたという。
いずれにせよ、金日成は偽装平和攻勢を展開しながら、対南工作を本格的に推進した。韓国社会にはすでに北の工作網が再建されていた1957年8月に摘発された金正済事件は衝撃的だった。南労党特捜部に登録した金正済は、治安局政務家長として暗躍中、彼の接触するため南派された工作員が逮捕されて正体がばれた。
曺奉岩が処刑された進歩党事件(1958年1月)の衝撃が去る前に、大韓航空の前身だったKNAの滄浪号拉致事件が1958年2月に発生した。乗客31人と乗務員3人のうち一部は送還されなかったこの事件は、南派工作員5人によって行われた。北には労働党は、第3回党大会(1956年4月)の決定に基づいて、59年には南朝鮮研究所が設立された。
4・19で自由党政権が崩壊するや北側の対南工作方向は、偽装平和攻勢と同時に、再び戦争を通じての暴力革命を追求することになる。金日成は韓国社会の無秩序と混乱に乗じて、南韓を社会主義革命の高揚期にするという闘争方向を決め、スパイを大量に浸透させ、容共勢力の拡大に注力した。
金日成は1960年8月、南北が当分はそれぞれの国家体制を維持しながら、二つの政府代表者で最高民族会議を作り、経済と文化を統一的に調整する南北連邦制を提案した。北側はこの連邦制案を1960年11月に国連に提出した。北の重工業委員会は、南韓へ電力を送ると提案した。
北側のこの平和攻勢に呼応して、南韓の左翼系が統一問題への取り組みを決定した。1961年月、社会大衆党、革新党、社会党、統一社会党の4大革新政党と16個の政党・社会団体が民族自主統一中央協議会(民自統)を結成した。
反共李承晩政権の崩壊と建国以来の反共勢力の粛清、萎縮は、南北の冷戦で韓国社会をなすすべもなく混乱に陥れた。(つづく)

2018-04-04 3面
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