洪熒・本紙論説主幹
6・25戦争は韓民族に多大な殺戮と破壊をもたらした戦争だったが、この戦争を通じてあまりにも貴重なものもたくさん得た。まず、6・25南侵直前に実施された農地改革とともに、韓国社会の階級構造を根本的に変化させた。第二、この階級構造の変化は韓国の政治と経済の発展に甚大な影響を及ぼした。第三、戦争は農地改革とともに人々に「朝鮮人」ではなく、「韓国国民」としてのアイデンティティを形成し、形式的な国民国家を強力な国家体制に変えた。大韓民国で親共勢力が一掃され、大陸と断絶し海洋文明の米国と同盟することで、世界史的な成功を成し遂げた国家となった。
第2次世界大戦後、スターリンのソ連は、東欧と中央アジア、モンゴルと北ベトコン、北韓、中国まで、西欧を除くユーラシア全域が共産化した。この共産化の津波の中で韓半島の南だけが自由民主体制を護った。李承晩は、信託統治と左右合作を強いた米国を説得してスターリンと毛沢東と金日成の侵略に対抗し、自由民主体制を護った。韓国の民主主義闘争の本質は、共産全体主義から自由民主体制を護った反共闘争だった。
国連軍司令官として韓国戦争を指揮したリッジウェイ大将は「われわれが韓国で完全な勝利を逃したにもかかわらず、われわれは国際共産主義に対して、広く知られている通り、最初の敗北を与えた」と述べた。つまり、韓国戦争は、第1次、第2次世界大戦に次いで、20世紀の世界史の流れに影響を及ぼした戦争だった。
6・25戦争で米国と韓国が手を握って、国際共産主義の拡散を阻止したことで、自由世界は多くのことを得た。日本とドイツの復興と再武装、台湾の保護、米国の本格的な軍備増強など、東西冷戦が自由世界の勝利で終わった後、多くの学者たちが韓国戦争の意味とトルーマンの役割を高く評価するようになった。
韓米両国は1954年11月17日、韓米相互防衛条約の後続措置として「韓国に対する軍事と経済援助に関する合意議事録」に署名した。主な内容は、韓民国国軍を国連軍司令官の作戦指揮権の下に置く条件の下で、米国は韓国に1955会計年度に4億2000万ドルの軍事援助と2億8000万ドル、合計7億ドルの援助を提供することだった。
この金額は後に1億ドルが追加された。そして、韓国軍に10個の予備師団を追加創設し、軍艦79隻、戦闘機100機を提供した。1954年の韓国の輸出は2400万ドルだった。李承晩は年間輸出額の34倍に達する支援を米国から得た。外国の支援を得て戦争した多くの国が皆勝利したのではない。6・25戦争で大韓民国が生き残ったのは、国際政治を洞察する戦略家としての李承晩大統領の指導力のおかげだった。
韓米同盟体制はその後、韓国の繁栄、つまり近代化と民主化を可能にした。韓米同盟は「戦争防止」に成功し、世界で最も貧しかった韓国が世界10位圏の経済大国にした。米国の支援を得た韓国は外交網も拡大できた。
韓米相互防衛条約は、韓半島の周辺の長期的平和を可能にした。南韓に米軍が駐留したため、火薬庫も同然の北東アジアには、長期的な平和が続いた。そのおかげで日本は世界的な経済大国に立ち直った。韓国は産業化と民主化に成功。中国も世界経済の中心国として登場。結論として、20世紀後半の北東アジアの目覚ましい成長は、韓半島から撤退しようとした米国を韓国に留めて置いた李承晩の深謀遠慮のおかげだ。(つづく)