うまくいっていた企業が一瞬にして没落するのは、古今東西それほど珍しいことではない。韓昌祐は事業を始めた段階から、企業の栄枯盛衰について深く悩んできた。結論は単純明快だ。
「経営者が道徳と倫理を無視すると、その企業は衰退する」
同氏は、周囲の識者のアドバイスにも耳を傾けた。今から約10年前のことである。知人である英ケンブリッジ大学のジェームズ・A・マーリーズ教授が、青山学院大学と早稲田大学で講演するため、日本を訪れた。96年にノーベル経済学賞を受賞したマーリーズ教授は、京都の韓昌祐宅で食事を共にするなど、親交を深めた。その際、講演を聴きに行けなかった同氏のため、講演録が手渡された。
「講演のテーマは、非常に興味深いものでした。『お金を稼ぐのに人間味は必要か否か』です。聴講者の中でも活発に意見交換があったようです。ジェームズは反対論を一蹴しました。お金を稼ぐなら絶対に人間味、人間性は必要だと」
その頃、韓昌祐が住む京都では、鳥インフルエンザが流行していた。養鶏農場の経営者が自殺したというニュースが流れた時だ。その経営者は、鳥インフルエンザにより飼っていたニワトリ数万羽を失った。感染の疑いを知っても保健所に申告せず、飼っていたニワトリも出荷できなくなり、究極の選択をするに至ったという。
韓昌祐は、いくら完璧に見えても、人をだまそうとするのはあくまでも詐欺であり、近道を選んだつもりでも、その道を進めば滅びると強調する。賞味期限を欺く食品会社、産地偽装をする料理屋、鉄筋の量を減らしてマンションを建てる建設会社などだ。1990年代、韓国で崩落した聖水大橋、三豊百貨店を建てた建設会社も、事故の数年後に倒産した。
米国の巨大エネルギー企業エンロンも、不正経理が引き金となり、身を滅ぼした。フォーチュンが6年連続で「米国で最も革新的な企業」に選んだエンロンだったが、負債を幽霊子会社に負わせるなどの手法で粉飾決算を行い、信用は地に落ちた。経営陣が道徳や倫理を失った日の朝、2万人の従業員は職を失った。
人間は誰でも、窮地に追い込まれれば「近道」への誘惑にかられる。経営者なら資金繰りなどの問題で、危機に追い込まれることもあるはずだ。
韓昌祐は、誘惑を断つための助言を得ている。故郷・三千浦の小学校の同級生イ・ジョンヨン氏である。神戸大学で商学博士号をとったジョンヨン氏は、友人に会うたびに苦言を呈すことをためらわなかった。
「韓君、急な仕事を先にするより正しいことを先にするんだ。いくら急いでも、正道を外れてはいけない」
イ・ジョンヨン氏は3年前に世を去った。しかし、韓昌祐の心の片隅で、友は生きている。選択の瞬間が来るたびに、心の中の友人の声に耳を傾ける。韓昌祐が作ったマルハンの社訓に「信用」がうたわれている。
同氏は88年の歳月を振り返り、「信用」を金科玉条のごとく守ってきたことで、多くの難関を克服することができたと信じている。そのおかげで耐えがたい試練も乗り越えることができた。70年代初頭、同氏は人生で最大の危機を迎える。「日本のボウリング王」になりたいと、勝負をかけた事業が大失敗したのだ。
ボウリング場経営に乗り出して3年。全財産を失い、残ったのは、60億円の借金だけだった。天文学的な負債を前に、当時45歳の実業家は絶望した。絶体絶命の危機で、韓昌祐はどのような選択をしたのか。 |