洪熒・本紙論説主幹
スターリンは、韓半島で戦争を続けるのは悪くないが、米軍が原爆を使用したら大変だと判断した。したがって、休戦会談を始めれば米軍は核兵器を使用しないはずだから、休戦会談をしながら戦争を続ければいいと、中国と北韓を説得した。
トルーマンとマッカーサーが原爆使用を言い出したとき、ソ連も韓半島の戦争で核兵器の使用を検討したという主張が見つかった。『スターリンと金日成』の著者であるガブリル・コロトコフは1970年代の初め、ソ連科学アカデミー傘下の米国研究所に在職したとき、ソ連学術会員だった核物理学者のサハロフと何回も会い、彼から次のような証言を聞いたという。
「韓国で戦争が勃発した。私たちは、金日成将軍の敗北と、その後の中国人の失敗に我慢し耐えた。軍部の内ではすでに我々が知っているとおり、原子爆弾の使用可能性に対する問題が議論された。われわれが持っていた爆弾は少し小さかった。そのため爆弾の威力は相対的に小さかった。スターリンは、もっと強力な爆弾を必要とした。私は原子爆弾が韓国戦争に必要だと考えていなかった。今も、次のように言える。その爆弾一発によって韓半島の空は崩れてしまうだろうと。神のご加護で、韓半島の完全崩壊を防ぐことができた」
この発言は、金日成の南侵戦争が、第3次世界大戦、あるいは米国とソ連の核戦争へ拡大する可能性もあったことを示唆している。
休戦会談は行われていたが、スターリンは戦争を急いで終わらせるつもりでないことを何回も直接的・間接的に毛沢東と金日成に伝えた。
1951年11月19日、ソ連共産党中央委員会の政治局は、韓半島問題について、「今の時点での戦争終結は、敵に有利であるだけなので、戦争終結を急いではならない」という決定をした。そして、北韓指導部が休戦に盲目であることと関連して、北韓駐在のソ連大使を強く叱責する次のような電文を送った。
「貴下の電報には、北韓政府が国連総会と安保理に、韓半島問題の早急な解決を要請したという内容が書かれている。我々は、このような決定が誰の主導でなされたものか知らない。同じく、中国の同志たちがそのような態度にどう対応しているのかも、貴下の電報を通じては分からない。(中略)これは、米国の脅威の下で中国が弱い様子を見せることで、政治的不利益をもたらし得る。貴下は、前述した問題に対する説明があるまで、北韓の同志たちがいかなる決定も保留するよう忠告しなければならない」
1952年1月16日、金日成のメッセージを携帯した朴憲永は、膨徳懐司令官を訪ね「北朝鮮の全人民は戦争の継続を望んでいない。中ソが戦争を続けるなら、朝鮮労働党は独自の立場をとる」と主張した。報告を受けた毛沢東は2月8日、スターリンに電文を送って「金日成は戦争を継続する意欲がない」と率直に伝えた。
にもかかわらず、スターリンの戦争継続の意志は執拗だった。スターリンは52年8月20日、モスクワを訪問した周恩来との会談で「米国が平和を拒否するなら、我々も、これからさらに1年間は戦える」と言い、加えて「中国はこの戦争で前衛的な役割を遂行しており、韓半島に米国を15~20年間縛りつけておくことで、彼らが第3次世界大戦を計画できないようにしなければならない」と言った。
(つづく)