尹仁鉉
私がキリスト教を信仰していることは前にも書いた。キリスト教徒になったのは35歳の時、韓国で結婚式を挙げた際、聖書の神・父との出会いがきっかけになった。
私が日本についてすばらしいと思うものの一つが、お祈りをする場所が、いたるところにあるという点である。日本には無宗教の人が多く、神といってもピンとこない人が多いかもしれない。しかし、先祖の霊に祈らない人などいまい。他人のための祈りは、聖書の神を信ずる信徒たちの愛と希望であり、義務であり、祈りを叶えて頂くのは、人間の欲望によるものではなく、神の公正な措置である。
私の信仰が大切なように、隣人の信仰ももちろん大切である。なぜならば、お互い祈りあえるからである。祈りを通じて話し合えるからである。
宗教ごとに信仰の指針書がある。それぞれ大事にしながら読んでいる。私は、聖書を読むことから一日を始める。人と人との問題、地域の問題、国と国との問題、相手のことを大切にしあい、最善を尽くし、争いや殺りくを、この世の中から無くすことが聖書の教えであると確信している。
話は飛躍するが、戦争は人の力(意思)では止められない。聖書には予定説という神の希望に満ちた予言があるが、それでも、人間の意思だけでは戦争を防げないのである。
米国の戦争は、経済界の判断によって大きく左右される。北に対して先制攻撃も辞さずといっているトランプ政権だが、すぐに戦争を始められるわけではない。株価の安定、すなわち経済界の準備いかんによって決まるだろう。
日本は何をすべきか。危険なのは中国とロシア、そして北韓だが、北は黙っている時が一番怖い。妥協をほのめかすときは特に警戒が必要だ。
日本人の民度は高く、国の根幹は揺るがないだろうが、マスコミが国民を惑わせている。早期に国論を安定させ、日本が世界平和に寄与できるようにすべきだが、なかなかそうなっていない。北も中国もロシアも、核武装している。日本も同じく備えることは、いつ襲ってくるかわからない各種のリスクを減らすことにつながる。
広島と長崎の後遺症で、日本人が核に対して”アレルギー”を持っているのは理解できる。しかし、いつまでもこの状況を放置していてもいいのだろうか。
日本にとってもう一つ大事なことは、文在寅政権の根本を把握することである。日本の情報能力は、内閣調査室を中心に、世界的に優れていた。かつて韓国の中央情報部の作戦で、もっとも成功していたのが、旧日本陸軍中野学校出身者が指揮したものであった。
日本にとって韓国は有害な国か。それとも友好を保つべき国なのか。感謝すべきことは素直に感謝し、問いただすべきことは、理由と目的も踏まえて話し合うことが重要だ。主張が合理的で正当ならば、どちらも解決に応じるはずである。何が平和のため、両国のためになるのか。冷静になって、祈りを捧げ、知恵を出し合い、妥協し、争いのない関係を築くべきだ。
今の韓国が作り上げられていった時代、韓日関係は最も友好的であった。両国の指導者は、互いに理解しあい、尊敬しあっていた。なぜこのような理想的な関係を築くことができたのか。私は見てきた。聞いてきた。両側の使い走りをしたからよくわかる。両国のいい関係、逆に誤解している点を正確に伝え、隣国として必要としあえる国になるよう役立ちたい。私はいつも、そう祈っている。
(つづく)