洪熒 本紙論説主幹
アチソンは国務長官から退いた直後、中国軍の韓半島侵略については次のように述べた。
「中国軍の北韓への進入は、米国の外交政策史上、最も大きな災殃の一つで、トルーマン執権期の最大の災難だった。それは、私が知っていたどんな事案よりも効果的に米国の外交政策を破壊し、妨害した。政府内の共産主義者問題、腐敗事件などは、この大災難を隠すための措置にすぎなかった」
ところが後日、丁一権参謀総長の回顧録によると、李承晩とマッカーサーは、事前に中共軍の参戦を知っていたが、これを共産化された中国大陸の解放、収復という遠大な戦略的構想の機会にしようと話し合ったという。
李承晩は11月29日、閣僚会議で中国軍の介入に対する参謀総長の報告を聞いた後、中国軍の侵略に「神様が韓国を救う方法であるかもしれない」と述べ、次のように続けた。
「もし、ソ連が韓国国境の向こうに後退し、国連でいろいろな利権などを取引するようになったら、国連と米国はソ連との協力を誇示するため、何事でもやるはずで、軍事上の勝利ではなく、外交上の勝利と満足するはずです。国連軍部隊と装備は間もなく撤退し、韓国軍には、効果的に防御するにはあまりにも長い国境線が残されます。米国民の怒りが収まり、共産党の平和宣伝攻勢で国民の緊張が緩和されたとき、中共軍の準備が終われば、彼らの圧倒的な兵力と装備、近代的な航空支援、そして韓国の全海岸線に対する海軍作戦などを阻止できなくなります。現在、海岸線を封鎖している国連軍の艦船を撤収させることが何を意味するか想像してみなさい。われわれは、北韓軍の失敗がソ連の韓国支配計画の放棄を意味しないという事実を忘れてはなりません。今、韓半島に中共軍を引き入れたのは、国連軍が撤退した後にそのようなことが発生するより、われわれに幸いなのです。したがって、われわれは戦わなければなりません。最悪の状況が韓国に来るかもしれませんが、民主主義を救うことになります」
李承晩は米国に、韓国軍50万人分の武装を要求した。中共軍の侵略によって、国連軍の戦線は崩壊していた。長津湖で中共軍に包囲された米海兵隊と第7師団所属の部隊は12月8日、古土里まで脱出した。
恵山鎮に突入した米第7師団17連隊と国軍も、中共軍に包囲された。東部戦線の国連軍は包囲網を突破し、12月11日、興南に到着した。米10軍団など国連軍は翌12日、興南から海上撤収を開始した。
米海兵隊2万5000人と7師団も、興南橋頭堡に集結した。中共軍は橋頭堡に集中攻撃を加えたが、米10軍団の反撃を受けてほぼ壊滅した。国軍1軍団は12月18日、興南から海上撤退して墨湖に上陸した。
国連軍の後退に伴い、多くの北韓住民が自由を求めて南下した。李承晩は12月11日、ソウル死守を言明し、15日には国民総決起を呼びかけた。国連軍は興南撤収作戦中、埠頭に押し寄せてきた避難民を乗せるため、軍装置を放棄した。12月24日、10万5000人の国連軍と避難民9万1000人が、132隻の輸送船に乗って撤退し、世界戦史上類例のない大規模民間人救出作戦は成功した。
国連軍が平壌を放棄し、中共軍が攻勢のため集結する中、12月23日、米8軍司令官ウォーカー中将が戦線視察中、議政府の南で車の事故で戦死した。後任のリッジウェイ中将が12月26日、韓国に赴任した。(つづく) |