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最終更新日: 2017-05-19 20:22:51
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2017年04月05日 04:10
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大韓民国の建国史(65)
ソウル収復と38度線突破 敗走する人民軍の蛮行

洪熒 本紙論説主幹

 

 丁一権総長は9月14日、李承晩に仁川上陸作戦が明日敢行されと報告した。当時の状況を丁一権はこう記録している。
「大統領は感激した顔で私に訊いた。総反撃はいつかと訊かれて『16日からです』と答えるや、老大統領は、どこまで反撃するかと尋ねた。『38度線までです』と答えた。老大統領は断固として『違います』と言った。米軍はそうかもしれないが、わが国軍の目標は白頭山であるべきです。38度線を突破せねばなりません。この機会を逃してはいけません。またとない機会です。私のこの決心を心に留めて下さい」
大統領の声は断固として力があった。釜山には9月16日の午後になってようやく、仁川上陸作戦の成功が伝えられた。大統領は国軍に送る声明を発表した。
米8軍が中心だった国連軍は9月16日、ウォーカーラインと呼ばれた最後の防衛線「洛東江戦線」から総反撃に出た。洛東江戦線突破のため、狭い慶尚道地域に全力を集中した共産軍は、完全に包囲された。金日成に米軍の仁川上陸の可能性を何度も警告していた中共の首脳部は、金日成が目前の勝利に陶酔して適切な措置を取らなかったことに驚愕した。金日成は9月23日、洛東江戦線の人民軍に総退却命令を下した。
仁川に上陸した国連軍は、ソウル奪還戦と同時に第1騎兵師団が南下し、9月26日、烏山で洛東江戦線から北上してきた米7師団31連隊に合流した。洛東江戦線に投入された人民軍10万人のうち、国連軍の包囲網を突破して北へ逃走したのは約3万人だった。
米軍と国軍は9月28日、ソウルを収復した。韓国軍海兵隊第6中隊の兵士が中央庁に太極旗を掲揚した。ソウルが奪還された日、金日成は中ソの直接介入を要請することを決めた。マッカーサーは9月29日、李承晩と韓国政府に首都を引き渡した。
人民軍占領下の3カ月間、ソウルでは残酷な悲劇が展開された。開戦初期に負傷し、治療中だったため後退できなかった国軍兵はみな虐殺された。ソウル地域だけで8万人以上の政治家、公務員、学者、宗教家などが殺害・拉致された。人民軍は通りがかりの学生まで連行し、義勇軍として人民軍に入隊させた。後退する人民軍敗残兵も、各地で数多くの反共有志を残殺した。
ソウル還都式が行われた次の日、国軍1軍団の首都師団と第3師団の先鋒部隊が38度線に到達した。国連軍最高司令官の命令があるまで38度線を越えないように厳命されていたが、李承晩の主張は簡単明瞭だった。38度線はすでに金日成によってなくなったということだ。国連軍の方針に関係なく、国軍は北進し、敵を鴨緑江の向こうへ追い出すべきということだった。
マッカーサーも李承晩の主張に同意していた。マッカーサーは、軍事上の追跡権は、勝者の当然の権利だと述べた。マッカーサーは10月1日、金日成に降伏を勧告し、金日成が応じないためやむを得ず38度線を突破する形式を取った。
李承晩は9月30日、国軍の首脳部を景武台(大統領官邸)に呼び、書面で38度線突破を命令した。大統領の直筆指示は「大韓民国国軍は38度線を越えて直ちに北進せよ。 1950年9月30日、大統領李承晩」だった。
国軍は10月1日、破竹の北進を開始した。平壌に向かって徒歩進撃した国軍1師団は、車両で進撃する米軍と同じ速度で進撃した。 (つづく)

2017-04-05 3面
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