在日韓国人初の「義士」称号
1971年6月9日、東京都大田区の矢口渡駅前にある岩崎内科病院。この日元心昌氏は入院手続きをした。岩崎医師の診察は肝機能低下による腹水症、心臓と肺機能の低下。肝硬化によりたまった腹水の量は、1万ccに達した。20代に肺病を患った元氏は、入院する約3年前から肝臓と心臓が徐々に悪くなっていたという診断を受けた。
以後、元氏は退院することはなかった。回復不可能な重病であった。約1カ月後の7月4日午前3時51分、元氏は永眠した。
まさに、1カ月後に南北8・15赤十字会談が行われる予定という知らせが伝えられた時、一生祈願してきた祖国統一を完遂できないまま、元氏は生涯を閉じた。享年65歳。元氏は6月21日午後11時半に書いた肉筆日記を通じて遺言を残した。
「痛みに喘ぐ『民族の多幸』(=統一)を見られずに行きます。大罪を背負って、民族の先祖の懐に向かって行くため不安を感じずにはいられません。 心書。」
他界当日、元氏の抗日独立運動時代の同志と韓民自統・韓民自青同志、在日韓国人各界の代表らは、東京に集結して有志の集まりを結成した。有志の集まりは、韓民族の死後の最高名誉である「義士」称号を追尊して、同時に葬儀を「在日本韓国人社会葬」として執り行うことを決めた。
先立ち元氏の上海六三亭義挙同志の白貞基氏(獄死)も韓国で8・15直後「義士」に追尊され、「大韓民国国民葬」の待遇を受けていた。元氏は日本で活動して日本で亡くなったため、それに相応する葬儀としては「在日本韓国人社会葬」しかなかった。
当日、民団中総(現民団中央)の李禧元執行部は、団員除名状態である故人に対する処分を取り消すことを決定。元氏は2度も民団から除名処分を受けたことがある。
55年統協結成の時(58年解除)、以後再び韓民自統の統一運動が反韓活動として除名された。本人が創設した民団で2度除名を受け、死後にその処分を取り消されたことになる。
その年7月10日、東京都福生の大行寺で挙行された元氏の初七日忌は和解の場であった。民団中総の朴性鎭事務総長が、故人の霊前に民団の除名処分が取り消されたことを正式報告し、民団から丁賛鎭、曺寧柱、呉基文氏などが参席した。
当時共和党国会議員であった権逸前団長は、急きょソウルから駆け付けた。権前団長は、元氏除名を主導した当事者であった。初七日忌に集まった人々は、「義士 元心昌先生 在日本韓国人社会葬」準備委員会を結成し、各界各層に訃告を出すことにした。
元氏の葬儀は8月25日午後2時、東京都千代田区の九段会館で720人が参加した中で執り行われた。元心昌社会葬葬儀委員の名簿と職業は以下のとおり。史料的な価値があるという判断の下に訃告の原文名簿をそのまま掲載する。
代表委員
丁賛鎭(旧同志代表、民団中央顧問)、裵正(統一運動同志代表、団体役員)、曺寧柱(組織人代表、民団中央常任顧問)、金熙明(言論・文化人代表、著述家)、李元世(知人代表、団体役員)
委員
姜潤典(統一運動同志、会社取締役)、権逸(在日同胞出身 本国国会議員)、金光男(組織人、民団中央顧問)、金信三(組織人、在日大韓婦人会会長)、金英熙(統一運動同志、会社会長)、金允中(言論・文化人、KPI通信社代表)、金載華(在日同胞出身本国国会議員)、金正柱(言論・文化人、韓国史料研究所所長)、金晋根(言論・文化人、共同新聞社代表)、金鎭桓(知人、会社取締役)、金漢相(統一運動同志、医学博士・昭和医大講師)、朴龍九(経済人、会社社長)、朴律來(旧同志、会社社長)、朴一哲(言論・文化人、東洋経済日報社代表)、裵鍾翊(統一運動同志、会社社長)、孫性祖(統一運動同志、団体役員)、宋基復(言論・文化人、新世界新聞社代表)、宋世何(旧同志、著述家)、申英(言論・文化人、在日韓国芸術文化人協会代表)、申貞植(旧同志、会社社長)、申昌鎬(統一運動同志、会社社長)、安聖出(教育人、東京韓国学園理事長)、梁三永(旧同志、会社社長)、梁相基(旧同志、団体役員)、呉基文(組織人、団体役員)
本国同志代表
鄭華岩(政治家)、李康勳(独立運動史編纂委員会常任委員)、朴基成(前独立軍幹部、予備役陸軍准将)、梁一東(国会議員)、呉宇泳(旧同志、団体役員)、呉允台(宗教人、東京中央教会牧師)、柳泰基(統一運動同志、団体役員)、兪石濬(旧同志、会社社長)、兪錫濬(宗教人、在日韓国YMCA理事長)、尹建(旧同志、会社社長)、尹奉啓(旧同志、民団中央監察委員)、李慶守(言論・文化人、同和新聞社代表)、李東杰(統一運動同志、団体役員)、李承牧(統一運動同志、団体役員)、李壽成(組織人)、李裕天(組織人、民団中央常任顧問)、李宗植(旧同志、会社社長)、李禧元(組織人、民団中央団長)、張聡明(組織人)、全海建(統一運動同志、団体役員)、鄭哲(旧同志、民団中央顧問)、鄭寅錫(組織人、民団中央顧問)、祭鴻錫(知人、会社役員)、崔裕尊(宗教人、大行寺住職)、韓〓相(旧同志、著述家)、許弼〓(経済人、在日韓国人商工会会長)、洪賢基(組織人、団体役員)、黄迎満(統一運動同志、団体役員)〈以上、カナタラ順〉喪主未亡人元智耶、護喪李榮根
訂正
12日付第42部の記事で「李永根」とあるのは、「李榮根」です。 |