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2016年11月16日 09:00
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大韓民国の建国史(50)
米国の迅速な参戦決定とマッカーシズム

 トルーマンをはじめ、米国家指導部の正確な情勢判断は迅速な措置を可能にした。アチソン国務長官とマッカーサー極東軍司令官の素早い措置によって、米国が介入する前に戦争を短期間で終了しようとした金日成とスターリンの構想は崩れる。全面南侵当日に国連に上程されたため、釜山の橋頭堡は守られ、大韓民国は生き残り、トルーマン政権も韓半島政策において勝利を収めた。
安保理の3回目の決議は7月7日、英国とフランスが共同提案した国連軍司令部設置決議だった。国連は創設後、初めて軍事力を行使できる指揮機構を持つことになる。7月13日、米8軍司令部が大邱に指揮所を開き、8軍司令官のウォーカー中将が駐韓国連軍地上軍司令官に任命された。李承晩は7月14日、韓国軍の作戦統制権を国連軍司令官に委譲する手紙を国連軍司令官に送った。
トルーマン政権の迅速な参戦決定の背景については興味深い異説がある。「マッカーシズム」の影響で参戦を急いだという主張だ。ジョセフ・マッカーシー上院議員が1950年2月、「国務省の中に205人の共産主義者がいる」という爆弾宣言をし、米国内に反共の熱風が吹いた。中国大陸の共産化、ソ連の原爆保有などに刺激された共和党が、トルーマンなど民主党指導部を共産主義に柔和的だと猛攻撃。激しい反共熱風で危機感を感じたトルーマンとアチソンは、直ちに参戦を決定した。
マッカーシー上院議員のほかにも、当時30代後半だった若い牧師として世界に福音の風を起こしていたビリー・グラハム牧師の役割が大きかったという主張もある。グラハムは韓国で戦争が起きる9週間前にそれを予測する説教をし、米国は備えなければならないと主張した。トルーマンは米国の本格参戦を決定した後、グラハムをホワイトハウスに招待した。また、李承晩のジョージ・ワシントン大学とプリンストン大学の同門として当時、国務省顧問だったジョン・フォスター・ダレスも早期参戦に際して大いに活躍した。
トルーマン政権が国連の名で韓国に派兵することにしたのは、議会の宣戦布告なしに迅速に派兵し、国連の権威を借りることで派兵の正当性を確保するのに効果的だったからだ。だが、負担も多かった。まず、6・25戦争遂行の過程で、国連安保理の決定を尊重せねばならなかった。そのため国連加盟国、特に米国を支援した参戦国、中でも英国や英連邦国家の意思を無視できなかった。
英国は米国の要請を受けて兵力を派遣したが、トルーマン政権が韓半島の戦争に深く関与することが西ヨーロッパの安保を危うくするという理由でこれを牽制した。当時、労働党政権だった英国は、中国と国交を樹立したため、中国の立場を代弁することもあった。英国は重要な事案ごとに、米国の戦争遂行方式に関して発言権を行使しようとした。
米陸軍の初の参戦部隊のスミス部隊(第24師団21連隊1大隊)は6月30日、日本から輸送機で釜山に到着し、大田を経て烏山竹美嶺に到着した。7月5日の午前3時だった。
北韓軍との交戦が始まったのは8時16分、米軍の弾薬が尽きて撤退するまでの6時間15分間でスミス部隊540人のうち181人が戦死・失踪した。だが、スミス部隊の奮戦で韓国軍と米軍は貴重な時間を稼いだ。国連軍司令部が東京で正式に創設されたのは7月24日。米国のあまりにも迅速な対応にスターリンは慌てた。
(つづく)

2016-11-16 3面
 
大韓民国の建国史(49)
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