「崔順実事態」を契機に、従北勢力が中心となった朴槿惠大統領退陣要求が拡大している。平壌は、韓国社会の葛藤を助長・拡大させることを対南工作の基本としてきた。そのためには全く根拠のない捏造や謀略もいとわない。今回の崔順実事態は労働党対南工作機関としては絶好の素材だ。日本では当然、朝総連と韓統連がその宣伝扇動の先頭に立つ。
朝総連の宣伝や報道、主張がどれほど荒唐なものかを少しでも知っていれば、また朝総連と韓統連の宣伝が平壌の意図を徹底に反映するものであるという事情を知れば、朝総連と韓統連の言動を通じて、逆に平壌の事情と意図が判断できる。金正恩が崔順実事態を最大限に活用するしかないのは、核ミサイルの実戦配備が唯一の生存手段になっているからだ。韓国の政局が混迷して韓米共助態勢などが崩れることを期待しているのかもしれない。
現在の韓半島情勢は、休戦以来、1960年代後半に金日成が第2の6・25南侵を企図した当時ほど武力衝突の可能性が高い。北韓が公然と武力挑発に出た1960年代後半を、平壌側と朝総連はどう記録しているかを見てみよう。北側の対南工作史を記述した『主体の旗のもとで進む南朝鮮人民たちの闘争』と、朝総連が結成60周年を記念して金日成への忠誠の歴史をまとめて発刊した『総連主要活動日誌(1955‐2015)』を比較すれば、朝総連の正体、つまり金日成体制の道具になって自由と文明を攻撃し、在日同胞たちを破滅に導いた歴史が確認できる。
金日成が第2の南侵、ないし韓国を第2のベトナム戦場にするためゲリラ戦を試みた時期を北側はどう記述しているか。特に、金日成が朴正熙大統領を殺害するため特殊部隊を送った「1・21事態」をどう記述しているかを『主体の旗のもとで進む南朝鮮人民たちの闘争』で見よう。
<1967年、南朝鮮の武装小組は京畿道、江原道をはじめ南朝鮮のいろんな地域で120回も出現して95回の戦闘を進行し、軍需倉庫、米軍の軍需列車を襲撃破壊した。
武装小組の活動が拡大されることに驚いた米帝と傀儡徒党はファッショ的暴圧騒動を強化した。南朝鮮の新聞に報道されたことによれば、1967年の一年間だけでも、南朝鮮革命家たちの武装小組活動と大衆的革命闘争を抹殺するため動員された米軍と南朝鮮軍と警察は、予備師団を含めてなんと10以上の師団に達し、いわゆる掃討作戦に直接参加した米軍と南朝鮮軍と警察の数は延べ600万人に達した。奴らは1968年4月には250万の青壮年を強制動員して郷土予備軍を創設し、また戦闘警察隊まで作って弾圧へ追いやった。
米帝と傀儡徒党のこれらの暴圧も南朝鮮の武装小組を阻止できなかった。1968年1月21日、南朝鮮の武装小組がソウルの真ん中に進出して朴正熙逆徒が陣取っている青瓦台の前で大胆かつ勇敢な戦いをしたのに続いて、この年上半期には京畿道、忠清北道、全羅南北道をはじめ西海岸一帯と南海岸一帯の平野地域で武装小組活動を強力に展開した。
この年の11月には、南朝鮮江原道の三陟、慶尚北道の蔚珍郡などと南朝鮮中部の山間部を中心に闘争がさらに激しくなった
蔚珍、三陟地域で活動した武装小組をはじめ、各地で活動した武装班には労働者、農民だけでなく、先進的な知識人と民族的および階級的に覚醒した国軍将兵を含む各界各層の愛国的人民が網羅されていた。>
北側は、彼らが送った武装ゲリラを南朝鮮人民の武装闘争だと捏造している。興味深いのは、『総連主要活動日誌』や朝総連の便覧など公式刊行物には、韓国をゲリラ戦場にしようとしたゲリラ大量南派の記述は全く見られない。もちろん、文世光の朴正熙大統領狙撃など、北側が犯した主なテロや国家犯罪についても事件の内容を全く説明しない。青瓦台襲撃事件の2日後に起きた米海軍情報収集艦プエブロ号拿捕事件は書いていながら、「1・21事態」には全く触れていない。当然、平壌の指示・方針だ。
朝総連の出版物は基本的に対南・対日宣伝と謀略を目的とするが、同時に在日同胞や朝総連構成員への洗脳も目的だ。朝総連は北韓を「共和国」あるいは「祖国」と表現する。年号は封建的な「主体」を使う。
多くの朝総連活動家たちが習慣的に北韓を「共和国」と呼ぶ。恐ろしい洗脳効果だ。党と軍と政権の最高位職を一人で独占して、この個人独裁の絶対権力を世襲する体制を「共和国」と呼べるとは。(つづく) |