労働党と朝総連の対南工作が話題となるとき、今までは主に韓国で逮捕されたスパイが「工作員」と呼ばれてきた。しかし、本当の対南工作員は、逮捕された工作員ではない。彼らは一種の消耗品だ。彼ら(消耗品)を「安全地域(日本)」で養成し、運用する者こそが本当の対南工作員だ。
韓国で逮捕されたスパイたちはどのように作られたのか。その過程を見れば、朝総連の革命事業(対南工作)が非常に精巧で、膨大な組織が動員されてきたことがわかる。
すでに紹介したY教授の告白に見られたように、平壌の統制の下、物色段階、教育段階、運用段階、支援および連絡、その他の検閲などが基本的な構成単位だ。このすべての構成要素を維持し統制するためには、精巧な組織だけでなく、莫大な資金が必要だ。一言で、朝鮮労働党の在日党、つまり朝総連の存在目的は、まさにこの革命事業のためだ。
革命事業とは戦争の一種だ。革命戦士(工作員)の獲得と養成は、今日の国際テロ組織がテロリストを募集(獲得)・養成するのと似ている。今日、テロとの戦争がどのように展開されるのかを見ると、過去に朝総連の対南工作に対してどう対処すべきだったのかについての教訓を得ることができる。工作員を摘発するのではなく、工作員を募集し養成するシステム、その基地を破壊すべきだったと。
朝総連は日本という安全地域に彼らの工作基地を持っていた。東西冷戦時、ソ連内で米国を攻撃する工作員が養成されていることはわかっていても、米国はその基地を直接攻撃できなかった。敵地の中にあるため、全面戦争でもない限り破壊できなかったのだ。
だが朝総連は、社会主義国家の中に存在し、保護を受ける存在ではなかった。なのに朝総連は、歴史上類例を見られないほど、日本社会の中で事実上の治外法権的な特権を享受した。
朝総連は日本社会で長い間聖域だった。もちろん、これは日本当局の本意ではなかった。朝総連が平壌の指導の下、日本社会の脆弱性を利用して広範な庇護勢力を構築することに成功したためだ。朝総連は、日本社会のさまざまな構成要素と癒着して共生関係を維持することで、日本国内にある自分たちの革命基地の安全を図ることができた。
朝総連の対南革命基地が聖域でなくなるのは、東西冷戦で米国が勝利してからだ。特に、9・11以降のテロとの戦争は、以前の戦争とは違ってきた。米国は、米国を攻撃するテロリストに避難所を提供しないよう、世界中の国に要求した。米国を敵として攻撃するテロリストは、もはや文明社会では避難所を提供されなくなった。
朝総連の事情はどうだろうか。日本内に米国を敵として規定する組織があれば、米国の同盟国である日本は、こうした米国の敵を放置することはできない。同盟の敵は日本の敵であるためだ。だが、日本はいまだ大韓民国を抹殺することを目的とする朝総連を日本の敵とみなしていない。日本が朝総連に”優しい圧力”を加えるのは、拉致された日本人を救出するための対北圧迫の一環にすぎない。日本社会は今も、日本を基地として大韓民国を攻撃する朝鮮労働党の在日党を、日本と国際社会の脅威になるテロ組織に準じて取り締まる意思はないようだ。
朝総連が韓統連や留学同などと組んで、日本の大学のキャンパスなどを舞台として展開した「革命戦士」の募集・養成は日常的なことだったが、その中には留学同メンバーが日本人のパスポートを持って外国に出て、国際テロ集団との連携を試みた場合もあった。留学同が行ったこのテロリストごっこは成果を収められなかったようだ。
大韓民国国民が日本で朝総連の工作にほぼ無防備にさらされる状況をこれ以上放置できない。職業訓練のため日本に来たある韓国人の青年が朝総連によって工作員として包摂された過程を見てみよう。
東京近郊に住むことになった韓国人青年のKは、時々近所のパチンコ店に通ううちに朝総連が仕掛けた罠にかかった。Kは近くに住む在日同胞のLとパチンコ店で知り合いになった。LはKに焼肉をふるまい、自分は経済的余裕があると言って交通費もあげた。
Kは外国で知り合った同胞の好意として受け止めた。数カ月後、LはKに朝総連の画報と金日成選集などを勧めた。次は北韓映画のビデオだった。そして、いよいよ専門講師が登場した。(つづく) |