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2016年09月14日 09:15
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大韓民国の建国史(42)
ソ連軍事顧問団が南侵作戦計画を作成

 スターリンが指導した3段階の攻撃作戦の第2段階は、北韓の最高権力機関が新しい平和統一提案などを提示し、それが断られた後に軍事行動を起こすというものだった。相手が提案を拒否するという想定だった。第3段階では、甕津半島でまず敵と交戦するという金日成の考えにスターリンは同意した。どちらが先に戦闘を仕掛けたかを偽装するのに好都合な場所だからだ。北側が攻撃し南側が反撃した後、戦線を拡大できる機会が得られるはずという予想だった。戦争は速戦即決で韓米に立ち直る余裕と国際的支持を動員する時間を与えてはならないことなどが強調された。
スターリンは、ソ連が世界のほかの地域、特にヨーロッパで対処すべき深刻な挑戦に直面しているため、ソ連が直接戦争に参加すると期待してはならないと北韓に釘を刺し、再度、毛沢東と協議するよう金日成に言った。彼は、米国が韓国に軍隊を派兵しても、ソ連は韓半島問題に直接介入する準備ができていないと強調した。
金日成はスターリンに、米国は介入しないはずだと述べた。南韓内の遊撃隊の活動を強化するので、米国は介入準備をする時間がないと説明した。そして、3日以内に勝利すると明言した。
金日成は、米国が気づいた頃には、朝鮮の全人民が新政府を熱狂的に支持していると断言した。また、毛沢東が祖国を解放する自分の計画を支持しているとも言った。金日成と同行した朴憲永副首相兼外相も、南韓内で活動中の遊撃隊と20万人の共産党員が人民蜂起を指導すると予測した。
1950年5月、毛沢東に会った金日成は、「我々は2、3週間以内に南韓占領を終えるため、米軍は救援軍を送らないだろう」と断言したが、毛沢東は、米国の介入に備えて、3個軍を中朝国境線に配置すると表明した。金日成の南侵を利用して米軍と中共軍を韓半島で戦わせるというスターリンの策略が具体化された。
スターリンが南侵を承認した背景には、1950年2月14日に調印された中朝友好同盟、相互援助条約にも原因があるという中国学者の指摘がある。つまり、この条約によって、スターリンが蒋介石と締結していた中ソ友好条約が無効となり、それまでソ連に認められた長春鉄道と旅順、大連の二港の租借権が消滅したため、この地域から撤退せざるをえず、これを補完するため韓半島を狙ったと分析する。
以後、南侵戦争はスターリンの意図どおりに進んだ。ソ連軍事顧問団は南侵作戦計画を作成し、人民軍総参謀長の姜建に渡した。姜建はロシア語で作成されたこの計画を韓国語に翻訳して金日成に報告した。ソ連軍事顧問団は、この計画の草案を「先制打撃計画」と命名したが、公式的には「反撃計画」と表記した。ソ連軍事顧問団は、北韓軍の軍団と師団司令部に配置されて攻撃準備状態を点検し、部隊を指揮した。
その頃、東京のマッカーサー司令部は共産軍の南侵の兆候をある程度把握していた。この事実は、6・25戦争で陸軍参謀総長を務めた丁一権の著書『丁一権回顧録』に記されている。1949年から1950年の初め、丁一権は陸軍参謀次長を務めていたが、米軍事顧問団所属の情報責任者であり、軍事顧問団と陸軍本部間の情報連絡を担当するハウスマン大尉から、東京のマッカーサー司令部の北韓関連戦略情報の内容を教えられたという。1950年5月、米情報機関は、具体的な南侵の兆候を捉えていたのである。(つづく)

2016-09-14 3面
 
大韓民国の建国史(41)
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