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2016年07月21日 14:38
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大韓民国の建国史(38)
同族を撃つため中ソの力を乞うた金日成

 金日成は1948年9月に傀儡政権を建てた直後から「国土完整」を主張し始めた。国土完整は元々中国共産党の用語で、共産化達成を意味する。金日成は1949年の新年辞で、国土完整に13回言及した。金日成は同年3月、朴憲永と秘密裏にモスクワを訪問し、スターリンに南侵の意志を表明した。スターリンは米軍がまだ駐屯していることなどを理由に許可しなかったが、代わりに北韓軍に装備支援を約束し、支援した。
毛沢東が1949年4月、蒋介石政府の本拠地である南京を陥落したことは金日成と朴憲永を鼓舞した。4月末、金一が中国を訪問、南侵方案やスターリンと金日成会談の内容を毛沢東に説明した。毛は、国際情勢がまだ有利でないから南侵を留まるよう勧め、代わりに中国軍内の朝鮮族部隊を北韓軍に編入させ、内戦が終わればほかの部隊も帰還させると約束した。
毛沢東は1949年7月から8月に、人民解放軍内の朝鮮族で構成された第156、164、166師団を北韓へ帰還させた。166師団は新義州で方虎山を師団長とする人民軍6師団に、164師団は羅南で人民軍5師団に、156師団は元山で人民軍12師団になった。ほかにも瀋陽混成団、鉄道兵団の朝鮮族部隊、東北軍政大学吉林分校生など計5万5000人から6万人程度の兵力が人民軍に編入された。
毛沢東は1946年5月、満州地域の共産軍が蒋介石の軍隊に敗れたとき、ソ連軍占領下の北韓に退去し、北韓を後方基地として兵力と武器を補充して国共内戦に勝利した。毛沢東はその恩返しに、もう用がなくなった朝鮮族部隊を利用したのだ。朝鮮族部隊は抗日戦争だけではなく国共内戦でも先頭で突撃戦を行い、戦闘の大勢を決めた古参兵たちだった。
毛沢東の措置に対する朴甲東の興味深い分析を紹介する。まず、もう用途のない朝鮮人部隊を北韓へ送ってうまく処理した。第二、異民族部隊をその家族と一緒に帰還させることで少数民族問題を有利に解決できた。第三、朝鮮へ帰還させるとき将兵に莫大な銀行預金を与えて中国との利益関係を作り、彼らを永久の親中派にした。第四、大量の親中派を北韓軍部内に入れた。第五、この部隊が先頭で南韓を武力解放できれば全韓半島を親中派の手中に置ける。第六、ソ連に後れを取った朝鮮へのヘゲモニーを中国が取り戻せる。
北韓が戦争準備に総力を傾けているとき、李承晩は粛軍作業に続き共産党と戦っていた。国家保安法制定からの1年間で、11万人が逮捕された。この過程で日本に協力した反民族行為処罰法(48年9月制定)で、反民特委(反民族行為特別調査委員会)と衝突した。反民特委の国会議員3人が、国会副議長・金若水など13人の国会議員が南労党と内通した「国会フラクション事件」に連累した。この事件は労働党機関紙「労働新聞」が1997年5月26日付で成始伯の金九工作などを金日成の業績と大々的に報道し、歴史的史実として確認された。
解放後の混乱の中で宋鎭禹、呂運亨、張徳秀、金九などが暗殺された。金九は49年6月26日、自らが主席を務めた韓独党党員の陸軍少尉・安斗熙に撃たれた。安斗熙は、米軍撤収を主張する金九が危険だと判断して撃ったと主張した。多くの人が金九の死を悼んだが、80年代以降、独立運動史の研究が本格化し、金九と臨時政府の歴史的地位は変わった。臨政は各地で活動した独立運動団体の一つにすぎず、海外独立運動勢力を代表できなくなった。(つづく)

2016-07-21 3面
 
大韓民国の建国史(37)
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