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2016年07月13日 12:53
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大韓民国の建国史(37)
戦時体制の解体 米国は韓国防御不可能に

 南韓共産化の可能性を予見しながらも、米軍が一日も早く撤退しようとした理由は、兵力減縮と膨大な駐留費用負担のためだった。米軍の総兵力は終戦時、1200万人。242の航空団と100隻の空母を保有していたが、議会は46年の歳出委員会で1947年7月までに兵力を107万人に削減するよう議決した。
その結果、陸軍は1950年6月までに59万2000人に削減され、海兵隊は48万5000人から7万5000人に急減。海軍の主要空母と戦艦は退役して予備状態に入った。米国が軍備を削減した理由は、核兵器で軍事力の削減を補えると信じたためだった。米国は費用が少なく殺傷効果が大きい核兵器の開発と、その運搬手段である戦略空軍に依拠する軍事戦略に転換した。
国連軍司令官を務めたマシュー・リッジウェイは自伝『韓国戦争』で「原子爆弾はわれわれに一種のマジノ線のように思われて、海外駐屯軍を帰国させ、軍隊の戦時体制を解除し、刀を鞘におさめ、陸海空軍将兵を除隊させるなどの国家的衝動を合理化した」と書いた。初代国防長官のジェームズ・フォレスタルは、「われわれの国防力を破壊させている」とトルーマン政権に抗議し、自殺した。
軍備縮小で激減した兵力をどこにどう配置するかが、当時の国防省や国務省など首脳部の悩みだった。軍首脳部は少ない兵力を米国の利益が最も先鋭化している地域に配置すべきだと判断。47年9月アイゼンハワー合参議長はジェームズ・フォレスタル国防長官に「少ない兵力で韓国に基地や部隊を維持するのは戦略上、米国の利益にならない」とのメモを送った。
米陸軍省は1949年6月27日、米軍撤収後に北韓が南侵してきた場合に備えた極秘作戦計画を立てた。この作戦計画は北側が侵攻すれば、「(1)在韓米国民の緊急避難、(2)国連安保理へ問題提起、(3)国連の承認の下、法と秩序の回復および38度線の不可侵性を再確認させる目的の米軍とその他の国連加盟国の部隊で構成される特別機動隊の治安維持的活動」が主な内容だ。
この文書は重要な意味を持つ。米国は、国連軍を組織しての全面戦ではなく、治安維持的活動、つまり、戦争以前の状態に戻す制限戦争を計画したのだ。実際に南侵戦争が起きてマッカーサーは全面戦を主張したが、トルーマンは、最後まで制限戦争の線を超えなかった。
韓国に残った米軍顧問団は、共産軍の南侵への対応よりも、李承晩の挑発的行動を憂慮した。米軍部が望んだ韓国軍は、外部からの大規模の侵攻への対応ではなく、治安維持や38度線での衝突のような小規模な国境紛争に対処できれば十分と判断した。米国は李承晩が北進することも警戒して、韓国に対する軍事援助を年間1000万ドルに制限し、資金用途も小型武器の購入に限定した。韓国政府の切実な要求にもかかわらず、戦闘機や海軍艦艇、野砲などは提供されなかった。空軍も偵察用の軽飛行機しか許されなかった。
機動演習ができる武装・訓練・部隊展開も厳格に統制された。1949年秋、北韓軍4000人が38度線以南の甕津半島を攻撃した時、米軍事顧問団長のウィリアム・ロバーツ准将は「甕津半島は戦略的価値がない」と言い、国軍の撤退を提案した。李承晩は、「撤退することで共産主義に勝てると思うか」と一喝した。米国が李承晩の武器援助要求を断っていたとき、38度線の以北ではどういうことが進んでいたか。(つづく)

2016-07-13 3面
 
大韓民国の建国史(36)
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