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2016年05月25日 10:41
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大韓民国の建国史(31)
新生国・大韓民国の国連承認外交

 主権在民を訴えた李承晩の建国宣布演説では、公民権と個人の自由の保護に続き、自由の重要性も強調された。李承晩は「思想の自由は民主国家の基本的要素」と語り、「自由の意味を正しく知って尊崇し、限度内で行動せねばならない」と宣言した。4番目は、新しく樹立された政府は、国民が自分たちのために自分たちの手で建てた自分たちの政府であることを深く覚悟することであると指摘した。5番目に強調されたのは、労働者、農民の生活向上と平等権の保障、最後に対米関係の重要性だった。
トルーマン米大統領は、ジョン・ムーチョを韓国駐在最高代表(駐韓特使)に任命した。駐韓米軍司令部からの政権移譲作業は、8月24日まで続いた。この日、ホッジ司令官は中央庁で「過渡期に施行される暫定的軍事安全に関する行政協定」に署名した。ホッジは李承晩を表敬訪問し、「プレジデント・リー、あなたの執念で勝利したのです。ドクター・リーこそ独立を勝ち取った勝利者です」と祝った。ホッジの後任にはジョン・コウルタ少将が任命された。
南北韓の建国過程は全く違っていた。北韓はスターリンの意志を誠実に遂行したソ連占領軍司令部によって樹立され、金日成はソ連軍が作った権力を引き継いだ。一方、李承晩は彼に敵意を抱いていた米国務省官吏や在韓米占領軍司令官などの軍政官吏を抑え、大韓民国の建国に成功した。李承晩は米国との闘争を通じて権力を勝ち取ったのだ。
大韓民国の建国―自由民主革命は、第2次大戦後に誕生した140以上の国々が真似しようとしてもできない水準だった。南韓より2年前に共産政権を作った北韓がその後歩んだ惨憺たる歴史や、経済発展には成功しているが共産党独裁が続いている中国、その他安保の負担がほとんどない国々が自由民主主義を完全に施行できずにいる現実を見れば、人的・物的な資源が決定的に欠けていた時代に李承晩がどれほど偉大な民主主義を始めたのかがわかる。
ところが、この慣れない自由民主主義制度が短期間で花を咲かせることは難しかった。政治エリートも大衆も、自由民主主義の規範と制度を内面化する準備ができていなかったためだ。
李承晩ら建国初期の国政の主役は、全国民の社会的能力を極大化するための一連の制度改革を断行し、国家発展の原動力になる「新しい国民」を創出する。韓半島の歴史上、未曾有の革命的改革が推進された。これにより大韓民国は奇跡的な発展を遂げるが、それは「新しい国民」がいなければ不可能なことだった。
大韓民国が建国されるや、北韓は待っていたかのように8月25日、最高人民会議代議員選挙を実施し、2週間後の9月9日、金日成を首相とする朝鮮民主主義人民共和国(スターリンが命名して朝鮮語に翻訳した国名)の樹立を宣言した。北韓も政府樹立を宣言したことで、南北韓は互いに韓半島の唯一の合法政府であると主張する状況となった。したがって、国際的な承認の獲得の可否が正統性の確保と国家生存のための最優先課題として浮上した。
李承晩は大韓民国建国公表前の8月11日、国連で大韓民国の承認を得るため、特別使節団をパリで開催される第3回国連総会に派遣した。使節団は、首席代表に張勉、次席代表に張基榮、政治顧問に趙炳玉、法律顧問に全奎泓、経済顧問に金佑〓、その他の顧問は鄭一亨、金活蘭、毛允淑、金俊九の計9人だった。(つづく)

2016-05-25 3面
 
大韓民国の建国史(30)
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