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2015年10月15日 13:30
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大韓民国の建国史(6)
ソ連に極東の共産化を決意させた、ロンドンでの挫折

 韓半島に進駐した米軍とソ連軍の性格は対照的だった。ソ連軍の政治将校らは軍服を着た政治工作員だった。彼らの権限は戦闘指揮官より強力だった。この違いは大きな影響をもたらす。スターリンがソ連軍大尉だった金日成を傀儡にし、北韓に共産政権樹立を決意した背景と過程を見てみよう。
 1945年9月15日から10月2日まで、ロンドンで第2次世界大戦の戦後処理を協議する戦勝5カ国(米英ソ中仏)外相会議が開かれた。この戦勝国外相会議は、米ソの同盟関係を冷戦に変える決定的契機になった。
 この会議で、ソ連外相モロトフは、日本統治にソ連を参加させることと、北海道北部の割譲を主張した。この主張は、米国の強力な反対で通らなかった。モロトフはまた、イタリアの植民地だったリビアのトリポリタニア(首都トリポリを含む地域)をソ連に譲渡するよう要求したが、この要求も米国と英国に強く反対された。ソ連海軍が地中海南岸に入れば、英国は地中海の制海権を失い、欧州の版図も変わりえるからだった。
 スターリンは、ナチスドイツを破った対価として、東欧や地中海などでソ連の影響力を拡大しようとした。その欲望が挫折したことで激怒し、満州と韓半島へ目を向けた。ロンドンの戦勝国外相会議は結果的に、ソ連による中国と北韓の共産化を促すきっかけになった。韓半島は米ソが鋭く対立する火薬庫になった。
 スターリンは、日本の降伏前日の8月14日、蒋介石と中ソ友好同盟条約を締結した。スターリンがヤルタ会談で対日戦参戦の対価としてルーズベルトに要求した、外蒙古の実質的支配、大連港の国際化、旅順港租借、東満州と南満州鉄道の中ソ共同運営など、満州での利権を蒋介石が承諾したことで結ばれた。スターリンは、この条約で蒋介石の中華民国を中国唯一の政府と認め、その対価としてロシアが1905年以前に満州で持っていた特権を取り戻した。
 満州の特権を確保したソ連にとって、韓半島北部は重要だった。満州やソ連と国境を接するだけでなく、元山、清津はウラジオストクに隣接する重要港だった。北韓の西海岸も遼東半島とつながっており、旅順や大連とも近い。北韓が敵対国の統制に入るのは戦略上の不利を意味した。
 一方、韓半島南部は米ソ関係を悪化させてまで取得する価値はなかった。それでスターリンは、北海道占領などほかの戦利を得る可能性を考慮し、米国が提案した38度線分割占領案を受け入れた。
 スターリンは8月20日、毛沢東の中国共産党に「国民党との内戦を終息し、連合政府を樹立せよ」と指示した。兵力数は蒋介石の国府軍が4対1で優勢で、毛沢東の八路軍が米国製の新兵器で武装した蒋介石軍に勝つ可能性は低いと判断したためだ。
 ところがスターリンは10月8日、この指示を覆し、八路軍30万を満州に送って蒋介石軍を攻撃するよう命令した。スターリンは、モスクワのアヴェレル・ハリマン米国大使に「米国が地中海と日本からソ連を排除しようとするため、孤立政策を選択することにした」と宣言した。2カ月前に結んだ中ソ友好同盟条約を破棄し、国共内戦を再開する重大な措置だった。一方、スターリンの秘密命令で、北韓では共産単独政権樹立のための措置が取られ始めた。
 北韓と共産陣営、そして彼らに扇動・洗脳された内外の諸勢力は、分断が李承晩の「井邑発言」で始まり、彼が韓半島分断の元凶だと捏造・歪曲している。(続く)

2015-10-15 3面
 
大韓民国の建国史(5)
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