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2015年10月07日 08:08
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戦後70年 在日の肖像(6)
6・25戦争休戦で古鉄業は下火に

 趙忠来さん(87)は、疎開先の茨城県岩井町で終戦を迎えた。戦後は新しく出た電気製品を売って暮らしを立てていた。
 さほど出来る商売でなく、ご多分に漏れず、密造酒作りを、横浜で手伝うことになり、次には、朝鮮戦争が勃発して鉄くず屋が儲かると聞き、密造酒で稼いだ資金を元手にして古鉄回収業へと転身する。
 皮肉だ。祖国で起きた戦争が身を助けた。横浜・高島町の東横線が走るガードレール下に店と住居を構え、その途端、たちまち多くの客が来て、鉄くずを買い取って売った。
 当時鉄くずは貴重で毎日値を上げた。古鉄回収業者は増えていた。1953年に停戦協定が結ばれるまで忙しかった。
 高島町にあった店と住居は、1階が店で2階は住居になっていた。古鉄回収業は、鉄くずなどを買い出しする人たちが必要だった。 店には従業員の李漢久さんや金永鎮さんら3人がいた。趙さんは彼らと一緒に2階の住居で一緒に生活した。
 李漢久さんは趙さんよりも2つ年上で咸鏡道出身だった。北が故郷だった。非常にまじめな性格の人だったこともあり、店の番頭役を務めた。
 南が故郷だった金永鎮さんは解放前までは、小学校の教師をしていた。2人は、1959年から1984年まで続いた「北送事業」の、趙さんの記憶では第一船で帰国した。
 その李漢久さんは、元々はボクシング選手だった。1945年3月の東京大空襲に遭い生き延びた。
 防火用水用のドラム缶に入り、息をするために顔を出したり沈めたりしているうちに顔に大やけどを負った。
 重傷を負った李さんのために、趙さんら仲間が治療費を出して助けた。これが趙さんたちの縁となった。
 6・25戦争が休戦になると、古鉄回収業は徐々に下火になっていった。趙さんは、古鉄業から旅館業に鞍替えしていくようになったが、仕事をなくした李さんや金さんは、日雇いの仕事などで生活を支えた。
 生活は苦しくなった。「北送事業」が始まったのはそんな状況の中だった。李漢久さんと金永鎮さんはそのまま北の深い霧の中に消えた。
 この仲間たちを呼び寄せたのは祖国の戦争であったと言ってよく、この仲間たちを永遠に遠ざけたのも、彼らの祖国の事情であったと言ってよかった。
 その中に日本人妻も含まれたということが、なおさら胸が痛く、趙忠来さんは今もその疼きを時折覚えている。    
       (鄭重国)

2015-10-07 4面
 
戦後70年 在日の肖像⑤
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