平壌と朝総連は戦後、日本の左翼勢力と連携して、政界やマスコミをはじめ労働組合、文化界、教育界、財界などに影響を及ぼした。日本当局の政策にも影響力を行使した。 平壌と朝総連の対日工作の全貌を明らかにするのは難しい。非合法活動が主になったからでもあるが、日本当局が工作の全貌を明らかにしようとしないためだ。 朝総連が国税庁と裏取引をしてきたことは、国会で朝総連側の資料内容が追及されたことで明らかになった。日本側との癒着を通じて北側は不利な内容を隠蔽できた。 例えば法務省入国管理局の「在留外国人統計」は興味深い。出入国管理白書は1968年まで、「韓国」と「朝鮮」を分けて発表していた。1970年代に入ってから区分された統計が出なくなった。なぜか。この謎を解くためには、日本を舞台にした南北対決の歴史を知らねばならない。 朝総連は発足当初から、組織・勢力で民団を圧倒してきた。1959年12月に始まった「北送」で在日同胞の数は減少する。1959年末に約62万人だった在日同胞は、国交正常化の1965年には58万3000人に減った。在日同胞の数が北送以前に回復するのは1971年だ。 ところが、国交正常化の基本条約と一緒に締結された「在日韓国人の法的地位協定」発効により、協定永住権申請者は1971年までに36万5000人を超えた。1970年の在日同胞(民団・朝総連メンバー)61万4000人の約60%に相当する。民団と朝総連の勢力が、ここで逆転したのだ。 日本当局が韓国・朝鮮を区別せず一つにまとめて発表し始めた時期は、民団と朝総連が逆転された時期と一致する。日本当局に朝総連の退潮・衰退を立証するデータを発表しないよう働きかけた工作があったとしか考えられない。 いずれにせよ、日本当局が北側に不利なデータを隠すかのごとき措置は、その後25人の首相が変わって今の安倍政権まで続いている。 これは中国人と台湾人に対する日本当局の態度と比較される。入国管理局が発表した在留外国人統計は、2011年までは中国と台湾を区別せず「中国」となっていたが、2012年からは中国と台湾を区分している。日本当局はなぜ韓国と朝鮮だけを一つにまとめて発表するのか。在留資格別統計の中に、北韓(朝鮮)人が該当する事項がない項目は、「韓国」と記している。北(朝総連)に配慮しているとみなすしかない。 平壌と朝総連の反韓工作基地になった日本で実際に何が起こったのか。代表的事例として「李善実事件」を見てみよう。 韓国当局の発表によれば、李善実は済州島出身で、南労党活動をして越北し、6・25戦争中はパルチザン活動をした。李善実は1974年1月頃、工作船で日本に潜入して李東春と同居し、1974年3月、東京の荒川区役所に韓国の馬山から密航してきた申順女として外国人登録をし、入国管理局に出頭した。李善実(申順女)は1975年4月に特別在留許可を受け、1978年、墓参団の一員として韓国を訪問する。 李善実は1979年、工作船で北に渡り、再度日本に浸透する。光州事態が起きる直前の1980年3月末、韓国へ「永住帰国」して韓国内でスパイ網を指揮した。 李善実は「南韓労働党中部地域党」を構築し、金洛中と「民衆党」結成を主導するなど、対南工作を指導し、1990年10月、江華島から工作船で北に脱出した。 李善実が日本で合法的な身分を得るまで、日本国内には北の工作に協力する多くの「土台人」がいた。李善実が日本当局に出頭したとき、当局が韓国側に申順女の身分照会をしていたら、その時点で正体は明らかになったはずだ。 日本は韓国国民が日本に不法入国した事実について、韓国当局に知らせなかった。北側は、日本当局が韓国と情報を共有していないことを知って、このような大胆な工作を展開した。いや、北側は韓日の情報共有を遮断する工作に成功していたのだ。(続く) |