天文学的な国家負債の中で、自助努力による再生よりも、国際社会の支援に頼るギリシャを見る。国民と政治家が常識も恥も捨ててポピュリズムに毒された国を見る。 韓国でも政治家たちが国民に「普遍的福祉の拡大」を公約している。年間の海外旅行者数が全国民の3分の1に近く、国民の多数がダイエットに励む社会で「普遍的福祉」予算の拡大という主張は妥当なものだろうか。 元々議会制度の出発は、君主(国)が国民に課する税金を抑えることから始まった。いま韓国は国会が税金を上げる法案を量産する。国が国民の面倒を見るとして破綻した社会主義の歴史を忘れたのか。 平壌の特権層まで逃げ出すのを見ても、間近に迫った統一に備えず、空しい対北支援を叫ぶ政府やメディアに国民は絶望感をおぼえる。「大韓老人会」は、政治家たちの無責任な行動を見かねて先月、現在65歳となっている高齢者年齢基準を段階的に引き上げてはどうかと提案した。 人間は希望やビジョンがあれば、現実世界の困難に耐えられる。現実に対する不満は、未来へのビジョンと希望がないと増幅されるものだ。国民からポピュリズム的要求が増しているのは、政治家が希望と目標を提示していないからだ。 韓国が「未来より過去に執着する社会」になったのは第6共和国(盧泰愚政権以降)になってからだ。「民主化有功者に対する補償制度」はその決定的転機だった。ソウル五輪後の韓国社会は、「民主化」が最高の価値とされ、常識に反する主張や行動をしても「民主化」といえば、美化・正当化された。今韓国で「民主化」という言葉は、非常識と「放縱」の代名詞のようになった。 「民主化勢力」は、日本の植民地時代よりも悲惨な状態の北韓同胞を、徹底して無視している。「民主化」を叫んできた勢力は、北韓人権法の通過を10年も阻止してきた。彼らは同族を大量虐殺する金氏王朝には寛大で、この暴圧体制の存続に熱心だ。この点が「民主化勢力」の正体が疑われる理由だ。 セウォル号事故の被害者に国が補償と特権を与えるという法案は、亡国的ポピュリズムの典型だ。「民主化」を名分に、巨額の補償金と特恵を保障するよう国に求めるようになったのは、「光州事態」がきっかけだ。 最近、1980年の事件当時、大学生といわれた「市民軍」の正体が、北の特殊部隊だったという主張が強く提起されている。実際に、「民主化有功者」であるはずの「市民軍」は、今まで一人も現れていない。35年間も、当事者だけでなく、家族や友人も。 合理的・科学的思考を無視する社会は、野蛮と独裁に流れる。そういう精神的・思想的「無頓着」の典型を朝総連や韓統連に見ることができる。 朝総連は、シン・ウンミや鄭己烈のように、米国や中国を舞台とする従北人物を日本に呼んで講演会を開いている。彼らは自分たちの選択と言動が何を意味するのかわかっていない。金正恩に忠誠を誓うことが、大韓民国に銃口を向け、韓国の同盟である米国と、その米国を支援する日本を相手に戦う誓いであることを自覚しているのだろうか。(続く) |