韓米同盟の締結は奇跡 ベトナム戦争経て成熟
| ベトナムで戦闘に備える韓国の海兵隊員 | 洪 韓国と日本は1945年8月15日、まったく別の道を歩みだした。日本は占領下ではあるものの、国体を維持し、戦争で廃墟になる前の状態を復旧するのが目標だったが、韓半島の人々は戻れる「以前」がなかった。韓半島の北にはソ連のスターリン主義が、南には海洋文明と米国式の共和制が移植された。国民の識字率が25%以下という状態での試みだった。男女平等の完全な選挙制度と義務教育を全面的に施行した李承晩大統領の勇気は尊敬せざるをえない。李大統領は民族主義ではなく、反共自由民主主義をもって国作りに取り組んだ。特に、6・25韓国戦争(朝鮮戦争)の直前に行われた農地改革の成功は、新生自由民主主義国家の体制を守るための決定的な基盤になった。
李江湖 それまで韓半島に存在したことのない理念と制度、システムだった。まさに革命、建国革命だ。韓国は第2次世界大戦後の新生独立国家として、自由民主制度を選択し成功させた数少ない国。建国大統領の李承晩の執念が実現した結果だ。建国大統領は主に目に見えないソフトウェアの革命を、朴正熙大統領は主に目に見えるハードウェアの革命をなしたともいえる。日本が韓半島に移植した近代化のハードウェアとソフトウェアは、新しい海洋文明の移植と6・25戦争によって一新された。
李春根 韓米同盟は奇跡というしかない。韓米同盟は国際政治をもっとも高い次元で理解し、最高の知性を持ち、発信力もある指導者だけがなしえた。李承晩と朴正熙大統領は、苦労はしたが、同盟の管理を成功的に遂行した。
洪 東西冷戦は、米国が自由民主主義という理念を掲げて、第2次世界大戦の延長戦に勝利したともいえるが、世界史的にどのように解釈できるだろうか。
李春根 普通は利益のために戦争を行うが、宗教戦争以来、初めて理念を持って戦ったのが東西冷戦だ。米国が勝利したのは、彼らが追求する理念が、相手側の理念よりも人間の本能に適合したためだと思う。21世紀に人類を席巻したイデオロギーは、自由、民主主義、平和だが、自由と民主主義が西側の旗だった。ソ連は勝てない理念をもって戦った。中国が覇権国になろうとしても、自由と民主主義という2つの旗を掲げるのかと聞くと答えられない。そういう点で、中国は米国と戦えないと思う。
洪 韓国は、分断状態で戦争をしながら、ここまで発展してきた。特にベトナム戦争参戦は、韓米同盟を水平的に発展させた。どのような意味があると見るか。今の国民国家としての成功は、韓国人の”遺伝子”が変化したおかげであるはずだが。
李春根 米国の社会学者チャールズ・ティリーは、「戦争は国家を作り、国家は戦争をする」と述べた。戦争と国家はコインの表裏と同じだ。韓国も6・25戦争を経て国になり、ベトナム戦争で本当の国となった。外国で戦争できるということは、成熟した国になったことを感覚的に象徴するものだ。
洪 6・25戦争がスターリンと毛沢東との熱戦から停戦になり、戦場は韓半島の外に拡大した。韓米同盟は、全世界の共産主義・社会主義圏と冷戦を繰り広げるようになるが、特に、日本が韓半島の冷戦の第2戦場になった。日本に位置する国連軍司令部の後方司令部は、熱戦のための組織。冷戦では休眠状態になる。半面、共産圏や社会主義の諸政治勢力は冷戦・理念戦争のための組織なので、当然、猛烈に活動した。その代表的前衛組織で、従北の元祖であるのが朝総連だ。朝総連は日本社会の中で手厚く保護され、支援を得てきた。この状況が決定的に逆転するのは、韓国がソウル五輪を成功させてからだ。ソウル五輪は韓米同盟が結ばれてから35年目に開催された。毛沢東の侵略によって日本の植民地の遺産がほとんど灰になった廃墟からの快挙だった。ソウル五輪の成功に刺激されてヨーロッパの社会主義国が相次いで消滅したのは、さながら韓国によるスターリンへの報復が成功したということだ。
李江湖 そういうことを見れば歴史の興亡、盛衰が感じられる。 (3へ続く) |