名古屋にあるNPO法人・三千里鉄道(代表都相太)は毎年「6・15共同宣言」記念集会を開催している。今年も7月6日、名古屋で「東北アジアの平和を求めて」という討論会を開催するが、この集会に、金大中政権のとき、国家情報院長と統一部長官を務めた林東源が招待された。 韓国では、林東源は大韓民国の国家情報院長ではなく、「金正日の部下だった」とまでいわれている。というのは、林の行跡には黙過できない重大な不審点が多い上、金大中と金正日の会談を実現させる過程で、少なくとも4億5000万ドルを秘密裏に金正日に送ったからだ。それも平壌側の対南工作を粉砕することを任務とする国情院組織を利用しての、国家に対する反逆行為だった。 林東源は、金大中と一緒に韓米同盟を裏切り、北との連邦制を推進し、国内外でのあらゆる機会を通じて北側の主張を代弁してきた。 自ら「康宗憲を統合進歩党の国会候補として推薦した」と話す都相太と康宗憲の関係はいうまでもないが、林東源もいつからか都相太や康宗憲と密着してきた。来月6日の名古屋での討論会も、司会と進行役は康宗憲が務める。韓国の元国家情報院長と平壌側の工作員は、南北連邦制を目指す同志関係にあるのだ。 では、康宗憲はどのようにして韓国の統一部長官や元国情院長と親しい関係を持つようになったのか。康の出獄後の行跡を見てみよう。 康宗憲は出獄後、まず「お世話になった方々」へのあいさつ回りで年末の10日間を費やしたという。特に重点的に訪ねたのが牧師たちだ。 「クリスマス・イブの日、朴炯圭牧師の礼拝に参加しました。(中略)その夜の冷え込みは一段と厳しかったのですが、牧師を支える信徒のみなさんとの意義深い礼拝となりました。そして、最後に(自作の)『クナリオンだ』を一緒に歌ったのです。また、文益煥牧師のご自宅にも呼んでいただき、ご夫人の朴容吉長老から、手作りの料理でもてなしを受けました」(自叙伝123ページ)。 康宗憲は「統一運動」に牧師たちを徹底して利用した。だが、北では宗教、特にキリスト教徒は体制の敵として最も残忍に粛清される。 先週も、金正恩が中国にまで保衛部員を派遣してキリスト教に接した北の住民を逮捕・送還するよう命令1号を下達したという報道があった。北を訪問した外国人がホテルの部屋に聖書を残して出たという理由だけでも、出国が止められ逮捕されるのが北韓なのだ。 その北を祖国とする「革命戦士」が、クリスマス・イブの礼拝に参加して連邦制統一を誓った自作曲を歌ったのは、悪辣な偽善の極致ではないか。 康宗憲は当初から守る気のない「転向書」を書き出獄してちょうど1カ月後の1989年1月21日、延世大学での「全国民族民主運動連合」(全民連)結成大会に参加した。「全民連」はその日、「汎民族大会」を提案している。 「全民連」常任顧問だった文益煥牧師は、全民連結成から2カ月後の3月25日、法で禁じられているのを知りながら平壌を訪問した。文益煥の訪北直後、康宗憲は日本に戻るが、やがて「全民連」は韓国大法院(最高裁判所)で利敵団体と判示される。 「全民連」系の人物の不法訪北が続き、文益煥や林秀卿などが国家保安法違反で懲役刑を宣告されたことに対して、康宗憲は権力の恣意的な判断基準による処罰だと非難する。しかし、康宗憲は、北では住民が韓国へ行くどころか、国内旅行も自由にできない事情に対しては徹底して沈黙する。要するに、康宗憲などの従北派が主張する統一は、国内旅行すらできない暗黒体制への統一なのだ。 康宗憲は日本に戻ってから、韓国政府が自分に「日本での活動が反国家的だ」という理由で正式旅券を発給せず、外国人登録のときに写真を撮られるなど屈辱を受けたと主張した。しかし、韓国が法治国家なら、その程度では済まず、康宗憲の仮釈放は取り消されるべきだった。(続く) |