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2014年05月21日 00:00
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大韓民国への反逆 その連鎖を絶て(14)
「祖国である北へ行け」と迫った金鉉奨

 康宗憲は自叙伝で服役生活のことも詳しく書いているが、その中で真実と嘘を区別するのは容易ではない。ところが康宗憲が2012年の韓国総選挙で統合進歩党の比例代表候補として登場すると、康に「祖国である北へ行け」と言いながら、康の正体を証言した人物が現れた。大田と大邱矯導所で康宗憲と一緒に服役した金鉉奨氏だ。
金鉉奨は、1982年に起きた釜山米文化院放火事件の主犯で、死刑判決を受けた後に無期懲役に減刑され、康宗憲と同じ矯導所の隣の部屋に服役していた。金鉉奨氏は公開書簡(12年5月14日と同20日付)の形で、康宗憲の秘密や直接聞いた話を公開した。
金鉉奨の証言は、康宗憲の獄中生活に関する決定的なものであり、康がなぜ在日韓国人スパイ事件関係者の中で、平壌によって特に選ばれ、管理されてきたかを知る手がかりが含まれている。
金鉉奨は、康宗憲こそ政治犯としてどう服役すべきかの典型、教科書というべきだったと記憶している。康宗憲はスポーツ万能で頭脳も明晰、音楽の才能まであった。大田矯導所では「太陽についていくひまわりは、この地に植えられた希望の花…」という歌「ひまわり」を作詞・作曲したという。
金鉉奨が大田矯導所で康宗憲から聞いた話は次のような内容だった。自分(康)が工作船に乗って平壌に行き、招待所で指導員と一緒に生活したこと、平壌を訪問したカンボジア国王のシアヌークのために金日成が設けた特別公演に変装をして参加したこと、歓迎会場で金日成から20メートルほどの近くにいたこと、指導員が次の機会には金日成主席に直接会えるようにすると言ったこと、平壌で握手をした対南秘書の金仲麟の手は労働者のようにごつごつしていたことなどを聞いたという。
康宗憲は労働党大会の映画学習の感想や、一緒に服役中だった李哲(大阪在住)の弱さを心配した話などもしていたという。アウンサン爆弾テロが発生すると、「北のやったことだ、私はよく知っているが、絶対北がやった」と断言した場面を金鉉奨は鮮明に覚えている。康宗憲は自らが労働党員であることを淡々と話し、「徐勝と徐俊植兄弟は北からすでに英雄称号を受けたため転向したくても転向できない」と説明したという。
金鉉奨は、康宗憲に「スパイでないならこれに答えてみよ」と、4つの質問を突きつけた。(1)金日成の主体思想について、(2)3代世襲について、(3)核問題について、(4)北の体制について、それぞれどう考えているかを答えろと要求した。康は金鉉奨の質問に答えていない。
金鉉奨の証言によれば、大田矯導所などでの服役は、一般の予想とは違った。朝から夕方まで独房のドアを開けておいたという。康の自叙伝の中でもその部分が出る。
「矯導所での待遇は、当局と収容者の力関係で決まります。戦闘的な青年学生が多数を占める獄舎では、当局もどう処遇すればいいのか頭を悩ませていました。力ずくで統制を強化すると、待遇改善を求める獄中闘争があとを絶たないのです。管理者の立場では、できるだけ騒動や摩擦が起こらないに越したことはありません。それで、政治犯たちにある程度の生活条件を容認し、『平和共存』を図るようになります。そのような事情から、1982年の夏と秋は、青年学生とともに”快適な”獄中生活を過ごしました」(自叙伝106ページ)
矯導所の一部が半分解放区になっていたのだ。康宗憲の再審法廷(ソウル高裁)は、金鉉奨氏の証言を退けた。韓国の法治の危機は、司法界の左傾化と憲法無視にまで至っているのだ。(続く)

2014-05-21 1面
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