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2012年04月09日 17:29
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金正日の米国入国ビザ取得ミステリー
1997年、駐チェコ米国大使館で。亡命練習だったのか?
趙甲済
1997年チェコ駐在米国大使館に、ブラジル旅券とドミニカ旅券を持った三人が米国入国ビザを申請した。1人は女性、二人は男性だった。写真では三人は東洋人だった。名前から帰化した韓国人と推定された。米国大使館はこの三人にビザを発給した。
数ヶ月後米国情報機関員は偶然にビザ発給台帳の写真を調べて驚くべき事実を発見した。米国ビザを発給された一人の男は金正日、他の男は秘密資金担当秘書の朴・ヨンム、そして女は金正日の愛妾の鄭・イルソン(マカオに別荘を持っている)と判明されたのだ。米国情報機関の後続調査で朴と鄭は米国を何度も訪問したことが確認された。もちろん、偽造パスポートで。金正日は本当に米国に行こうとしたのか?
こういう事があって1年後の1998年5月金正日の愛妻の高英姫(死亡)の妹の高英淑(当時46才)と夫の某(当時40代後半)がスイス駐在米国大使館を通じて米国に亡命した。高英淑夫婦はスイスで留学中だった金正日の息子(金正哲、金正恩)の世話をしていたと見られる。金正日はスイス銀行に約40億ドルの秘密資金を預けておいて、レマン湖畔に二軒のマンションを買っておいた。
金正哲-金正恩兄弟が住んでいたマンションは、ジュネーブ駐在北韓代表部の外交官の鄭・イルソンの名義で登記されている。高英淑は「鄭イルソン」という名前の外交官旅券を持っていた。マカオに別荘を持つ金正日の妾も名前が 鄭・イルソンだ。何人もの鄭・イルソンがいると推定される。
金正日の亡命を斡旋する」
高英淑の夫の朴某は米国で情報機関の保護の下で暮しながら色々な情報を提供した。金正日がニューヨーク証市に投資した事実を情報提供してこれを凍結させるようにし、スイス銀行に預けておいた金の秘密資金に対しても話したという。高の夫の朴はとんでもない提案もしたという。
「金日成死亡後金正日がとても不安に駆られている。私が、彼を米国に亡命するように斡旋する用意がある。」
平壌の対南工作部署出身の脱北者は、「高英淑が米国に行ったという話を聞いた時私たちは金正日がわざわざ送ったのではないかと考えた。米国側の反応も見て、自分の亡命練習も兼ねて」と話した。
この頃、米情報機関は北の「朝鮮民航」の旅客機が明確な目的もなき、乗客も乗せずチューリッヒ空港に時々来るのを注意深く観察した。暫定的な結論は金正日がスイスに亡命の時に備えて練習するということだった。
この頃金正日の妹の金敬姫も数ヶ月間ヨーロッパに行って戻っていないことがあった。金正日は拳銃をそばに置いて寝たが、高英姫が片づけたという(「金正日の料理人」の藤本健二の証言)。金正日に対する暗殺やクーデター謀議が相次いで摘発された時期であった。
1997年11月には労働党の対外情報調査部(韓国国家情報院の海外部署に該当)部長を務めた権煕京(*右写真)がロシアのKGBと内通したという嫌疑で処刑された。その何ヶ月前は農業担当秘書の徐寛煕が安全企画部のスパイという罪名で処刑された。清津駐屯第6軍団将校たちがクーデターを謀議したと集団処刑された。金正日は人民保安省(社会安全部の後身)に特命を下して「深化組」を組織、党・軍・政・民に対する一大粛清作業をしていた時だった。約3万人が処刑されたか収容所に送られた。毎年50万人以上が餓死している時で、黄長燁秘書が北韓体制の崩壊を予感して韓国へ脱出した時だった。
こういう時期、金正日が米国入国ビザを申請したのだ。ある前職国家情報院の幹部は「亡命練習でもあり得るし、金正日の部下があらかじめ取っておいたことでもあり得る」と言った。
1997年前後に米国情報機関も金正日政権の崩壊を予感し金正日に対する亡命工作を検討したという。亡命候補地はスイスとロシア、そして米国だったという。
金大中が救った金正日
1997年頃には北韓政権内部だけでなく韓国や米国情報機関の中でも、「金正日政権が崩壊する日が遠くない。核問題もその時解決される筈だからあまり心配する必要がない」という見解が優勢だった。わが政府は1997年7月30日「北韓急変30日計画書」を作った。金正日政権が崩れて一日数千人の脱北者が発生する時発動することにした計画だった。南北会談場で会った北韓側の人々が顔馴染みのの南側人々に、「万が一の時は私の家族をお願いしたい」と言うほどだった。
だが、何も起こらなかった。北韓住民たちは生存に汲々とし、労働党幹部層ではまだ金正日への信頼があったし、何よりも韓国と米国が「崩壊してくれる」ことを望むだけ、崩壊工作をしなかった。
逆に、金正日の対南工作が成功する。彼は、金大中大統領の「太陽政策」への逆利用戦略をたてて親北日本人事業家の吉田猛を通じて現代グループの鄭夢憲会長に「最高位級会談」をする用意があると伝える。金大中政府はこの餌に食い付き、シンガポールと北京で秘密接触が始まる。驚くべきことに「民族問題」を議論すべきのこの接触に吉田と金大中政府の実力者たちの「秘密資金金庫番」として知らされた武器商の金栄浣氏も同席する。対北送金事件捜査記録を精読して見ると南北間の対話は会談前に南側がお金をどれ程出すのかを置いて金額の駆け引きで始終している。金大中は「実定法に多少触れる」という報告を受けながらも金正日の海外秘密資金口座などへ4億5000万ドルの不法送金を幇助する。
2000年6月金大中大統領(当時)が金正日に会いに行ってから金正日政権は危機から脱出するようになった。左派政権10年間100億ドル分の現金や物資が北韓政権に提供された。金正日はこのお金で核爆弾とミサイルを開発し、「6.15宣言」を利用して韓国内に巨大な親北勢力を構築し、韓米同盟関係を離間させるのに成功した。金正日の「太陽政策逆利用工作」は倒れ掛かった体制を救ったという点で世界諜報史上最も成功した政治工作と評価されるだろう。
2008年李明博政府の出帆で情勢は再び逆転された。対北無条件支援が中断され、韓・米・日の協力体制が再稼働しながら北韓政権は再び封鎖網の中に閉じ込められた。二度目の危機が金正日を訪れたのだ。金正日はこの期間もっと老いて健康も悪くなった。
何よりも、北韓住民たちが市場を通じて暮らす方法を模索する内に覚醒し始めた。300万人の死が人民たちの所為でなく金正日のためだったという事実も知るようになった。独自に生存する方法も体得した。2009年11月の収奪式の貨幣交換措置は覚醒された住民たちに金正日への怨恨を植えて付けた。
李明博大統領も私席で、「私が周辺国の首脳たちを説得し、金正日をコーナーに追い詰めた。北韓体制の中で本質的な変化が起きている」と言い切った。そうする内に金正日が死んだ。彼の死には李大統領が主導した対北封鎖網の圧迫も一つの要因だったはずだ。
問題は、1総選挙(4月11日)と大統領選挙(12月)だ。二つの選挙を通じて従北政権が登場したら、対北封鎖網は穴が空く。コーナーに追い込められた金正恩も危機を抜け出る。逆に大韓民国がコーナーに追い込められる。これは自由統一の機会を逃すか遅らせる結果をもたらす。
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記事: 洪熒 (hyungh@hanmail.net)  
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