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2011年09月21日 09:57
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金正日にも「義兄弟」がいる!
今は金正日が全ての権力を持っているが、その昔は金正日自身も完璧な金氏神格化国家は想像できなかったようだ。
張真晟(詩人、労働党統一戦線部出身)
北韓の唯一指導者、絶対神として宣伝される金正日にも幼い時から義兄弟がいた。長兄は呉克烈、二番目は金正日、末っ子は崔龍海だった。呉克烈は金日成のパルチザン同志の呉仲ソンの一人息子だ。北韓では「忠臣・呉仲洽同志のように生きよう!」というスローガンがあるが、呉仲洽は呉克烈の父の従兄弟でもある。北韓労働党の宣伝扇動資料を見ると金日成の最初の妻金貞淑が解放後孤児たちを自宅で育てたと伝えるが、彼が呉克烈だ。
呉克烈(左写真)は金日成の邸宅で2年ほど金正日と一緒に暮らしながら強い因縁を結んだ。金貞淑が死ぬと金正日は呉克烈について万景台革命学院に行きたいと強請ったという。当時は金日成の他にも崔庸健、崔賢をはじめ他のパルチザンらも将軍と呼ばれた時だった。その同等な権力意識からパルチザン特権層の子供たちは継母の下で育つ金正日を露骨に冷遇して無視したという。
そういう金正日を庇ってくれたのが十歳も年上で喧嘩にも強かった呉克烈だ。旧ソ連のFrunze軍事大学卒業し1964年頃空軍大学学長に公式就任した呉克烈は、金正日に権力に目覚めさせ野望を育てた政治的師匠でもある。当時金日成総合大学の学生だった金正日は、呉克烈の事務室でほとんど一緒に宿泊しながら未来の権力に対して話し合ったという。
一方、崔龍海は金正日の隣の友達として始まった義兄弟だ。「6.25戦争」後、金日成邸宅の隣には「崔賢将軍」という門札のある大邸宅があったが、崔龍海はまさにその家の末っ子だった。崔賢は北韓映画でも見られるようにともすれば拳銃で人々を威嚇する多血質だった。銃声が鳴る所には必ず怒った崔賢将軍がいると言われるほどだった。家に妻や妾と一緒に暮らす人だったため、そういう父が気に入らなかった崔龍海は家を出て過ごしたという。
継母に気兼ねしながら暮らした金正日は、そういう崔龍海を誰より理解してあげ、弟のように世話をしたという。そして3人は義兄弟になって金正日は国家主席、呉克烈は武力部長、崔龍海(右写真)は党総秘書になろうと約束したという。今は金正日がこの3大権力を全部持ったが、その時は金正日自身も完璧な金氏神格化国家は想像もできなかったようだ。
だが、幼年時代のその約束を守って金正日は世襲権力を獲得しながら呉克烈は軍の首脳として、崔龍海は党組織部の高位職としての出世道を開いてあげた。呉克烈は1977年10月に人民軍副総参謀長、1979年9月に人民軍総参謀長兼党政治局候補委員になる。1980年9月に人民軍上将、1985年4月に人民軍大将に進級しながら北韓軍部内の実際的な統帥権者として確固たる地位を築く。
ところが、金日成の最側近である武力部長の呉振宇の権力に阻止されて2人者に留まることになるや、呉振宇を無力化させる目的で金正日と野合して軍政治委員制度の廃止を主張するようになる。その理由は、北韓軍内の上位監視権力である政治委員が全員金日成の側近たちだったからだ。1966年、民族保衛相兼副主席だった金昌奉の武力クーデターにやられそうだった金日成は、軍の指揮系統の二元化を積極的に推進し結局、政治委員制度を強化しながら自分の側近たちで固めたのだ。
そうでなくても金正日の過度な権力世襲が呉克烈を通じて軍部まで掌握しようとすることに不安感を感じた金日成は、これを契機に呉振宇をはじめ軍内の側近たちを前面に出して呉克烈を総参謀長職から解任するようにした。しかし、金正日は翌年の1989年に呉克烈を自分が管掌する党組織部の傘下部署である作戦部長に任命し党の中に引き込んだ。金正日は崔龍海も党組織部の高位職に育てる。
まず、他のパルチザン出身の子供は中央党に補職しないように制限しながら、崔賢の二人の息子、つまり兄の崔龍テクと弟の崔龍海だけは中央党組織部の核心部署に補職した。理由は金正日の権力世襲過程に崔賢が大きい功績を上げたためだ。金正日の党組織秘書任命と関連した党政治局会議で多数の幹部が集団反発するや崔賢が拳銃を抜いて射殺すると暴れたエピソードは北韓内でも広く知られている。金正日は崔龍海の地位を上げるために党組織部の青年指導事業課長を務めさせてから社会主義労働青年同盟(「社労青」)中央委員長に任命する。
北韓の権力家たちは金正日に対するように崔龍海の前でへつらうほど彼の政治的パワーは強かった。崔龍海は金正日の信任を背景に、平壌側がソウルオリンピックに対抗して開催した第13次世界青年学生祝典を総指揮するようになる。その業績を根拠として党組織部の副部長に任命されようとしていた所、当時党組織部の第1副部長だった李済剛の指示で国家保衛部が「社労青」中央本部の不正を捜査する。捜査の焦点は不正と道徳的腐敗だった。
「社労青」傘下の外貨稼ぎ機関である銀星貿易管理局の李炳徐局長の不正で始まった捜査は崔龍海にまで拡大し、家宅捜索で米貨300万ドルが発見された。すると南韓の国家安全企画部から貰った資金だという膨らませた資料が金正日に報告され、公式的な党組織部の検閲組が構成されて崔龍海以下「社労青」の全幹部が職務停止され、調査を受けることになった。党組織部の検閲総和で提起された崔龍海の罪状は途轍もなかった。
北韓の全青年を率いる中央機関の首長として、全国各地から美女たちを選んで「喜ばせ組」を運営し、毎週一度の割合で平壌市万景台区域にある「社労青」傘下の「トラジ(桔梗)ホテル」でセックスパーティーを楽しんだ。甚だしくは性的趣向を満足させるために青年同盟協奏団の美女6人には一人当り3600ドルを与えて入れ歯をするように強要もした。言わば、金正日の腐敗と堕落を模倣した北韓内2人者の権力の饗宴だったわけだ。家宅捜索から出た米貨幣300万ドルも崔龍海が「社労青」はもちろん、あらゆる権力利権を利用して集めた賄賂だった。
崔龍海は解任されて慈江道の農場員として追放され、「社労青」は根本的な組織刷新の名目で「金日成社会主義青年同盟」と名称を変える。ところが、崔龍海は3年後に平壌市中央熱暖房企業所の党秘書を経て再び中央党総務部の課長に、黄海北道道党責任秘書、現在は中央党勤労団体部の秘書として復権された。呉克烈は1980年代から今まで党作戦部長を務めている。金日成主席の死後、党組織部は呉克烈の人民武力部長任命提案を用意したが金正日が保留した。
その夜、金正日は呉克烈の家を直接訪ねて、「私には人民武力部長の呉克烈でなく、党作戦部長呉克烈がもっと必要だ」と慰労したという。実際に金正日は北韓軍関連業務はもちろん、対南や対米外交事案に関してまで呉克烈と協議して結論を下すという。崔龍海と呉克烈の邸宅は平壌市大同江区域、紋繍洞の恩徳村にある。私は北韓にいた時、金正日の最側近たちが住むその恩徳村に行って見たことがある。
人民武力部の庁舎警務部が24時間護っているその恩徳村は、総6棟で構成されているが1階に一世代が住むように設計されており、彼らだけのためのディーゼル発電所まで別途に整えている。内部はイタリア産の赤い大理石で飾られており、韓国のエースベッド会社の安有洙会長が寄贈した家具が揃っている豪華住宅だ。
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記事: 洪熒 (hyungh@hanmail.net)  
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