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2011年07月06日 03:28
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「さあ、出陣しょう!」
南信祐(在米建築家、リンカーン研究家)
7月4日はアメリカの独立記念日だ。その前週からいろんな所で独立記念日の花火が始まる。世の中が落着かず暮らしが厳しいこの頃だが、国の誕生日である独立記念日を記念せずにはいられない国がアメリカでありアメリカ国民だ。Happy Birthday, America! (誕生日おめでとう、アメリカよ!)
アメリカが独立してから87年が経った1863年、7月1日から3日まで、筆者が40年間住んでいるペンシルバニア州の中部に位置したゲチィスバーグという小さな田舎村で「南北戦争」の両方の大軍による最大の接戦が繰広げられた。リンカーンのゲティスバーグの演説で有名になったあのケティスバーグ大接戦だ。南軍と北軍合わせて16万の大軍が、三日間必死で戦ってほぼ5万人が死傷し失踪した惨たらしい戦闘だった。
この戦闘で殊勲をたてて後日米最高武功勲章(Congressional Medal of Honor)を授与された人は、北軍司令官のジョージG. ミド将軍でもなく、もちろん南軍司令官のロバートE. リでもない。北部メイン州の田舎で大学教授を務め南北戦争が勃発するや志願入隊して、ケティスバーグ戦闘では臨時大佐の階級章を付けてメイン州第20連隊を導き北軍の最左側面の岩高地を死守したジョシュア・ローレンス・チェンバレン連隊長だった。
ケティスバーグ戦闘とチェンバレン大佐を主題にしてマイケル・シャラという作家が書いた「殺人天使たち、Killer Angels」という歴史小説(1974年)があり、1993年には金持ちのテッド・ターナーがこの小説を「ケティスバーグ」という長編映画として作って発表した。筆者はこの映画をDVDでしょっちゅう見る。ケティスバーグ戦闘は歴史小説で読んでも感動的で、映画を見ても感動的で、リンカーンの2分ほどの演説を読んでもいつも感動的だ。
ケティスバーグ戦闘の前日、チェンバレン連隊長は、もうこれ以上戦いたくないという100人余りのメイン州出身の抗命兵士たちを引き受ける。上部からは彼らを無理にでも戦わせるか、それとも全員銃殺してもいいという命令が下された。人前に出るのが嫌いで演説するのも嫌いだったチェンバレンが彼らに演説を始める:
「われわれの連隊は去年の秋、故郷のメイン州で志願兵を以って結成されました。1000人が集まってできたこの連隊が、今は300人も残っていません。
私たちの一部は連邦のために戦うと志願しました。また、ある若者たちは家に残るのが退屈で、兵隊ごっこが面白そうに見えて志願したりもしました。隣の友人たちが全部戦場に出るのに、自分だけが家に残るのが恥ずかしくて志願した人々もいます。しかし、私たちの大部分は…これが正しいことであるため志願しました。私たちは大勢の人々が死ぬのを見ました。私たちは故郷で黒人を一人も見たことがありません。それで、なぜ志願したのかと考えるようになります。ところが、自由とは…ただ言って見る言葉ではありません。
わが軍隊は全く異なる種類の軍隊です。歴史を振返って見れば、人々は富のために、女たちを奪うために、略奪をするために、互いに戦いました。他人の土地を奪うために、それとも国王が命令するから、甚だしくは人々を殺すのが面白いため、戦争を起こしていました。しかし、私たちは全く違う理由のために戦うことを進んで志願しました。こういうことは世界の歴史にありませんでした。私たちは他人に自由を与えるために立ち上がった軍隊です。
私が踏んで立っているこの土は自由の地です。ここからあその太平洋までは自由の地です。誰でも他人に頭を下げなくても良い国です。一人の人間が生まれながら王になるそういう国ではありません。どういう仕事をするかで人を評価し、誰かの息子だから評価される国ではありません。この国では誰でも尊敬され評価される人になり得ます。家庭が作れます。われわれは土地を獲得するため戦うのではありません。土地はいくらでもあります。私たちは私たちが信奉する理念のために戦う志願兵たちです。あなた方と私はこの土地よりもっと高貴な存在です。私はこの土地を占めるため戦うのではありません。あなた方も同じはずです。私たちが戦うのは、終局的には、私たちのために戦うのです。
…済まない。説教をするつもりではなかったのに…しかし、私が考えてきたことが話したかったのです。何れにせよ、私たちは軍隊です。考えて見て、もう一度戦いたい人には銃を支給します。これ以上戦うまいなら、そのまま付いてきて欲しい。この戦闘が終わるとあなた方が正当な法の手続きを経て措置されるように私が何とかやってみます。しかし、今や出陣する時間です。私の個人的な考えでは、私たちがこの戦闘で負けると、この戦争でも負けるはずです。それで皆さんがもう一度銃を取ってくれると、私は個人的に感謝します。さあ、出陣しょう!」
戦うのを拒否した100人余りの抗命兵士たちから、6人を除いた兵士たちは全員ケティスバーグ戦闘に参加した。チェンバレンの連隊は戦闘初日の、7月1日、Little Round Top-岩高地を死守することで連邦軍の側面を護り、三日間のケティスバーグの大接戦は連邦軍の勝利で終わった。その年の11月19日、リンカーン大統領はケティスバーグ戦場を訪ねて戦没将兵らのための墓地(*左写真)を奉献する式で、「人民の、人民による、人民のための政府をこの地上から絶やさないことこそが、私たちが身を捧げるべき大いなる責務なのです」という2分ほどの演説をした。
2011年7月2日、金正日の大虐殺展示会/南信祐
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記事: 洪熒 (hyungh@hanmail.net)  
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