ログイン 新規登録
最終更新日: 2024-05-01 13:21:33
Untitled Document
ホーム > 自由統一 > 自由主義保守派の声
2011年06月19日 14:17
文字サイズ 記事をメールする 印刷 ニューススクラップ
 
 
呉世勳が戦線に立った!
柳根一
呉世勳ソウル市長. 彼が刀を抜いた。「全面無償給食」に関する住民投票、8月27日だ。投票そのものはさて置いても、呉世勳式の身振り自体は今の政治家たちの文化とは全く違う。それが新鮮に目に映ってくる。どう違うのか? 戦線対峙の政治がそれだ。
政治とは何か? どうすべきか? そしてリーダーシップとはどうであるべきか? 特に韓国のような政治風土では? これと関連して人々はよく「統合」という言葉を好んで使う。政治はもちろん国民統合の要請に応じねばならない。しかし、政治はまた、戦いである。争点をめぐっての激しい戦いだ。
国民統合とは国家と憲法の大前提に対しては誰も異を唱えないという合意であり約束だ。だが、その大前提に対する合意がない環境では「国民統合」は装飾用以上のものになり難い。大韓民国の建国の正当性と大韓民国の現代史への評価問題ですら共感が難しいわれわれのような風土では尚更そうだ。こういうところでは当然味方と敵の政治闘争が起きるしかない。
この闘争の現場には鮮明な戦線が引かれることになる。いや、引かねばならない。そして激しく戦わねばならない。李明博政権とハンナラ党はこのことへの認識自体が薄いというより最初からもうろうとした。その程度を超えて、怖気づいて敵の表情などを窺い敵がやることをベンチマーキングし、ふうふう息を切らして手遅ればかりする存在に転落した。案山子が別途に無い。
呉世勳市長は今日のそういうハンナラ党の風土に逆らって兎に角「反ポピュリズムの全面勝負」の賭けに出たわけだ。賛否の結果がどう出ようが、そういうダッシュ(dash)自体が注目に値する「事件」だ。リーダーは会社員でない。リーダーは砂漠で井戸を掘る人だ。そうするうちに死ぬこともあり得る。その死ぬ可能性を敢えて前提とする人だ。敵陣に突入する特攻隊の指揮官のような人だ。他人ができない、不可能だと言う時、鄭周永会長のように「やってみたの?」とする人だ。呉世勳市長は?
戦場に立ち向かう呉世勳市長に、(彼が)カトリック信者だというから特別に勧めたいことのがある。まず、ゲツセマネの園に上がって激しい苦痛の中で黙想して欲しい。「できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせて下さい。しかし、わたしの願い通りではなき、御心のままに、」
全身を投げることなしでは何も成就できない。
柳根一の耽美主義クラブ http://cafe.daum.net/aestheticismclub 2011.06.18 09:28
뉴스스크랩하기
記事: 洪熒 (hyungh@hanmail.net)  
この記者の他のニュースを見る
自由主義保守派の声セクション一覧へ
「パンデミック条約」反対会見開く
金永會の万葉集イヤギ 第7回
「パンデミック条約」反対を宣言
金永會の万葉集イヤギ 第8回
選挙を装った政変、第6共和国の終焉か
ブログ記事
マイナンバーそのものの廃止を
精神論〔1758年〕 第三部 第28章 北方諸民族の征服について
精神論〔1758年〕 第三部 第27章 上に確立された諸原理と諸事実との関係について
フッサール「デカルト的省察」(1931)
リベラルかネオリベか
自由統一
金正恩氏の権威強化進む
北韓が新たな韓日分断策
趙成允氏へ「木蓮章」伝授式
コラム 北韓の「スパイ天国」という惨状
北朝鮮人権映画ファーラム 福島市で開催


Copyright ⓒ OneKorea Daily News All rights reserved ONEKOREANEWS.net
会社沿革 会員規約 お問合せ お知らせ

当社は特定宗教団体とは一切関係ありません