国民行動本部
超過利潤を共有するなら超過損失も共有せねばならないではないか? 大企業への階級的敵対感をもって施行する政策は、正義のように見えるかも知れないがやってみれば毒だ。
「核武装を促す大田市国民大会」を3月29(火)午後2時、市立燕亭国楽院(旧市民会館)で開催します!
1.鄭雲燦(*右写真)氏が主張する「利益共有制」に対して最も知りたいのは「超過利潤」の基準が何かだ。商売をあまりにも上手くやったら「超過」したことになるから罰金を納めねばならないのか?
2.超過利潤を互いに分けるなら超過損失も分けねばならない。大企業が大きな損失を出した時、納品業者にも分けて負担させてこそ論理的だ。こうしたら民乱(一揆)が起きるのではないか? 超過利潤だけを分けるなら、これは利益共有制でなく利益収奪制だ。共有という言葉には有利なことも不利なことも公平に分け合うという意味が元々含まれている。不利なことは排斥し有利なことだけを持つというのは「共有」でなく「収奪」だ。「私のものは私のもので、君のものも私のもの」という話だ。これを共有と呼ぶところから一種の詐欺性すら感じられる。富者や大企業が得た利益だからそういう形で収奪しても良いと思うなら、これは階級闘争的考え方であり「共産主義的発想」と見ることができる。
3.「企業らが価格を低く抑えるため納品単価をひどく値切り、その結果(三星電子のように)営業利益が当初計画した10兆ウォンでなく17兆ウォンが出ている」という鄭氏の発言は、あまりにも誇張され扇動的だ。企業の利益は、技術開発や原価節減などの色々な要因の総合的な結果なのに、中小企業を収奪した結果だと断定したのは非論理的だ。
4.「強制するものでない」と言ったが、それではなぜ「利益共有制」と名付けたのか? 「制度」は法律的根拠を持たねばならない。<これを忠実に実践する大企業に税制上の恵沢や公共機関の発注事業に優先権を与えるなどインセンティブを付与して参与を誘導する>というのは事実上の強制だ。
5.中小企業が大企業から不当な待遇を受けるなら、これは人間社会の常識と信義、そして自由民主的な基本価値を損傷しない方法で解決しなければならない。大企業への階級的敵対感をもって施行する政策は、正義のように見えるかも知れないがやってみれば毒だ。
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