李長春(前外務部大使、自由評論家)
1.「権力型」改憲はあってはならない
話にならない口実で改憲を敢行し、政権再創出を狙う無謀な権力投機が国難を招きながら韓国の幼い民主主義を辱めるようになりそうだ。
いわゆる公営放送のKBSは、2011年正月一日から「改憲に賛成が69.4パーセントで反対より遥かに高い」とラッパを吹いた。そして4日後、ハンナラ党が1月中改憲のための議員総会を開くという。それはひとまず不発に終わったが、改憲のための声が大きくなりそうだ。放送やいわゆる「綜編チャネル」を確保した財閥言論を動員して、いわゆる「分権型大統領制」を一斉に賛成する輿論操作で「権力型改憲」を押し通す可能性がある。
李明博政権の実力者の李在五特任長官は、昨年12月8日の変則採決国会が終わった二日後、改憲の覚悟を悲壮に表明した。今までしばしば-「各種の輿論調査をやると改憲への賛成が60-70%だと-中身の無い客引き用の烽火を揚げてきた彼は、変則国会を通じて改憲に自信を得たようだ。彼が-「2011年の上半期中には改憲議論に決着を付けねばならない…分権型大統領制は自分の政治の最後の所信だ」と-気炎を吐き、「客土」を言ったのは「変則改憲」かある種の政治的冒険を辞さないようだ。
すべての憲法は、革命や戦争による政治的現状変更(political change in status quo)、あるいは、民主主義のための闘争の結果を盛込んだ国家の基本法だ。
民主国家の憲法は、いつでも作り変える権力者の専有物でない。したがって改憲は-民主主義に進む道程で正当な理由で画期的契機が造成されて-国民的コンセンサス(総意)が成立した場合でなければやってはならない。
韓国は、-第2次世界大戦の結果、「植民地からの解放」という政治的現状変更によって-憲法「総則」を制定してから九回も改定した。初めから民主主義のための自律的闘争の結果として制定されたわけでないだけでなく- 1987年の「6月抗争」によって改定された現行憲法の以外の-8回の改定が、全て民主主義のための闘争の結果を具現し、民主主義を発展させるものとは関係なかった。
韓国は、執権勢力が勝手に憲法の「総則」の権力構造を変えた「権力型改憲」を充分経験した国だ。そのような改憲はこれ以上あってはならない。これから可能な改憲は-韓半島が歴史的統一を成遂げるか、あるいは、韓国が自由と民主主義を画期的に伸張・発展させるための国民的決断を自律的に下した場合に-その契機と理由が当然かつ正当でなければならない。そうではない「権力型改憲」は禁物だ。
2.今は決して改憲の時でない
李明博大統領は、2010年12月8日の変則採決国会が終わったその翌日、東南アジアに行ってはマレーシアで「統一が近づきつつある」と予言した。
その後、統一に対する言及が権力者の口からしばしば出た。それが遠からず虚言でない事実として現れ得ることに照らし、-統一を成就した後は必ず直ぐ改憲せねばならないため-今は決して改憲の時でない。
にも拘らず、任期が事実上1年余りしか残っていない5年間の単任政権が、呆れ返るようにとんでもない改憲を試みる。素直に退陣する気が無いからだ。
しかも、今は「国家安保が6.25戦争後最も深刻な危機状況である」という国防の最高当局者の警告がある状態だ。北による天安艦撃沈と延坪島砲撃に厳しく膺懲出来なかった李明博大統領は、「これから北の挑発には必ず応分の代価を払わせる」と言った。北の悪党らがこの話に驚いておとなしくなるはずが無い。だから、今は-国家安保に総力を注ぐ時であって-決して改憲の時でない。
民主国家の改憲は、民主主義のための政治闘争の産物だ。今の韓国は-ハンナラ党のある幹部が最近「国民は改憲に関心がないのが明確だ」と言った通り-誰か見ても改憲できる状況でない。「民主化を完成した」と自慢する韓国には、1987年の現行憲法を変えるための政治闘争が全く無い。「権威主義時代」が残した「権力型改憲」の悪習に染まった権力投機屋らやその家来らだけが大騒ぎだ。
李明博政権は、-現行憲法上の任期を終えた「李明博の一身安保」を国家安保に優先させて-国とその民主主義が吹っ飛ぶことを気にしない。
改憲の狙い-黄金万能の財閥生まれの権力が政権を事実上延長するためのけち臭い方法であり、その軽薄な皮をむく必要もないほど-明らかだ。その出生の「前科」や秕政を隠し、前大統領の盧武鉉の自殺のような前轍を回避し、権力のプレミアムを享受し続けるための待避所を作ろうとする貪欲の致すところだ。また、政治的怨恨に起因した報復の可能性を封鎖するための布石である底意が濃厚だ。
3.韓国のいわゆる「帝王的大統領」が憲法の所為なのか?
改憲の口実が真につまらなく見苦しい。李明博大統領は-「私が大統領をやって見たら、権力が大統領に集中し過ぎている」と-改憲の理由を「実吐」したように言った。だが、彼の話に真正性がないのは明らかだ。
大統領への権力の「集中」は、第三者による現象でない。大統領自らが-憲法の権力分立原則と精神によって-権力を分散せず行政各部に権力を委任せず、むだなことをやるからだ。憲法の所為でない自業自得を改憲の口実にする。正直でない。
国家(state)の頂点である大統領が、社会(society)の大黒柱であるソウル大学の総長に自ら任命状を授与する。国家が社会を圧倒している証拠だ。大統領が閣僚や軍の将星などの高官たちを呼んで辞令状を直接渡す。王朝時代の君主や植民地統治者に似ている。先進民主国家の実権を持つ大統領は、-不真面目な儀典に時間を浪費し虚勢を張らず-言論発表で代る。大統領の決心さえあれば直ちに明日からでも廃止するか委譲(devolve)できる韓国大統領の権力が一つや二つでない。憲法どころか法律も改定する必要のないことだ。
ハンナラ党の首脳部が、-「帝王的大統領制は限界に達し… 5人の前任大統領の終りが不幸だった…地域感情は亡国病だが(改憲すれば)治れる」と-世間知らずの子供(driveler)のように話す。いわゆる「帝王的大統領」は権力が作り出す複合的現象だ。韓国の権力者らはそれが客観的「制度」であるかのように咎め、その「限界」を語る。いったい何のためどういう「限界」に達したかに関しては言わない。
改憲を通じて大統領の「不幸」が予防でき、また、韓国の長い歴史にその根元の深い「地域感情」を純化できるという考えはとんでもない奇想天外の妄想だ。失笑を禁じ得ない真っ赤な嘘で国民を嘲弄し改憲の詐欺劇を演じるそ知らぬ顔だ。
韓国の憲法には「帝王的大統領」というものはない。それは大体憲法の「総則」に違反するか「総則」を凌駕する憲法の「各則」(準憲法的法令)ために生じる現象だ。憲法の「各則」とは-国会法や選挙法などの政治関係法律と行政府・司法府・地方自治など国家の組織に関する法律-国家財政法、租税法などの経済に関連した法律-刑事訴訟法と検察庁法など国家の「合法的暴力」、あるいは、スパイ活動に関連した法令-批准・同意した条約や国際慣習法など-色々な形態で存在する。その多くが-帝国日本の残滓として-権力の横暴と傲慢を刺激し庇う根源だ。
問題の「各則」が、民主的に選んだ大統領を「帝王的」にする。帝王的権力の金城鉄壁を崩すためには「帝王的大統領」を寄主と看做しそれを護る権力の眷属らと不断に戦わねばならない。そうしなくては「帝王的大統領」を追放できない。実際に民主主義において重要なのは憲法の「総則」でなく「各則」だ。
韓国は、当分1987年の憲法を金科玉条として民主主義の基礎と條件を持続的に確保して固めねばならない。憲法「総則」の権力構造を変える悪循環から脱して、憲法の「各則」を果敢に民主主義へと転換してこそ、先進民主国家へ格上げされられる。やたらに目的や概念の虚しい「先進化」を荒唐に叫ぶのではなく、問題の「各則」を正す勇気と知恵を発揮しなければならない。これから一世紀はそうすることを一次的な国家議題にしなければ先進世界に入れない。
いわゆる「民主化」によって権力の座に就いた韓国の帝王的大統領-盧泰愚、金泳三、金大中、盧武鉉-の中で連任したら良かった者が果たしているのか? 正直な答は「5年間の単任制でなかったら大変なことになるところだった」だ。
現職大統領の李明博が再任できないための残念さ-彼を継承する大統領の重任を許容せねばならない程-切実か? 衆論は決してそうでない。
去る20年余りのいわゆる「民主化」時代の大統領たちが見せたリーダーシップの貧困と低質および反逆的行為と顧みると、大統領の5年単任制は-韓国のために千万多幸な制度であり-その長所がその短所を圧倒する。そうでなかったら民主主義はおろか国が大変なことになるところだった。いわゆる「民主化」時代の大統領たちが残した汚れた成績表や過酷な弊端を見れば、彼らの任期5年は短くない。
もちろん、去る20年間とは違う偉大な人物が韓国の権力の座に就いて動揺なしに国のため仕事するのにに大統領の任期5年は短い。そういう偉人のためには大統領の再任禁止を廃止に値する。しかし、そのような展望が見られないには長期執権に対する執拗な国民的反対によって、およそ40年ぶりに成就した5年単任制に対する適応力を育てながら制度民主主義を発展させることが百回も当然だ。「4年重任が事実上8年単任」に化けて弊政を招く結果になってはならない。
4.いわゆる「分権型大統領制」は国を滅ぼす悪い種だ
民主主義を制度的に安定軌道に乗せられない国は、国家の権力構造を頻繁に変える改憲の試行錯誤を繰り返す過程で政治が不安定に漂流する。
民主主義のために国家権力を組織する制度の大宗は二つだ。その一つは国会制政府(the parliamentary system of government)で韓国ではよく「議院内閣制政府」と呼ばれる。もう一つは大統領制政府(the presidential system of government)だ。二つとも歴史が長い。
英国は-およそ80万人の犠牲者を出した英国内乱(the English Civil War of 1642 - 1651)と名誉革命(the Glorious Revolution of 1688)を経験しながら-国会制政府の基礎を創ってからその権力構造を一度も変えなかった。英国は-王の首を切り、王の権力を奪って国民の最高代表機関に帰属させた国会主権(parliamentary sovereignty)の国として-近代民主主義を始めて発展させた元祖だ。
王政の歴史の長い国は、国会制政府に頼らず先進民主国家(the advanced democracies)になったケースがない。
英国式の要諦は「政府」を構成する首相と内閣が、首相の政治的決断、あるいは国会の不信任(no-confidence)によって任期と関係なく退陣する責任政治だ。
米国は-英国の王政に流血で抵抗して自由と民主主義を勝取った国であり-建国の時採択したその権力構造を基本的に変えなかった。そもそも王や貴族や僧侶などの土着既得権勢力がなかった北米の新大陸で誕生した米国は、大統領制政府として世界最大・最高の民主主義国家になった。
米国は、大統領制政府を持つ先進民主国家としては唯一だ。先進世界では米国式をまともに真似せず見かけにだけの大統領制政府を持つ国が無い。
米国式の要諦は- 「政府」が法を制定する立法府、法を執行する行政府、および法を解釈・適用する司法府の三府で構成されて-権力を相互牽制し均衡を維持する三権分立だ。実際には国会が行政府を統制する役割が特に重要だ。
韓国の李明博政権がいう「分権型大統領制」は-韓国発の新造語で聞くには尤もらしいが-広く通用する言葉でない。よく準大統領制政府(semi-presidential system of government)と呼ばれるフランス式の権力構造に付けた別名でなければ類似点がない。韓国では-憲法上「政府」と同義語として使われる行政府を二つに分けるように見えるから「二院制」と混同して-しばしば「二元政府制」、あるいは「二元執政府制」と間違って膾炙される。どちらも適切な語彙(generic term)でなく、民主主義のために確立された国家権力の一般的編成方式でない変種(aberration)を指す。
フランス式政府形態は、変態的悪種だ。改憲に明け暮れた国の険しかった政治史を投影する。王と王妃を処刑し、千年王朝を滅ぼした「フランス革命は終わっていない(the French Revolution is not over)」と言われ続いている。いわゆる「国民主権」を主唱し-王朝国家(dynastic states)を国民国家(nation-states)に変えたことで-また、三権分立を創案して-米国式大統領制政府の誕生を先導したことで-民主主義の発展に偉大な足跡を残した国が、自らの民主主義は安定軌道に乗せられなかった。現行の1958年のフランス憲法は、-王国と共和国の悪循環を繰り返したその歴史が残した最近の政府形態であり-それ自体が18回も改正された。
フランスは「帝王的共和国」だ。その大統領は「毎年一回ずつ」国会を解散できる権限を持つ。だから、フランスは、大統領制政府の核心である三権分立を否認する国だ。英国式なら「政府」全体が解散し新しく出発するだろうし、米国式なら少なくとも2年間は-連邦国会の中間選挙まで-解散されない国会が牽制の役割を継続する。特に、与党多数のフランスでは任期制で直接選ばれた「帝王的大統領」が時を得たように復活して権力を振舞うのだ。
フランス憲法上のいわゆる「分権」は虚構に過ぎない。「任期制」で国民が直接選出した大統領と、「任期制」の国会が選んだ国務総理(首相)に権力を分散させるフランス式の「分権」は、それ自体では当然(ipso facto)実行させられない。競争する権力の属性から相互衝突や摩擦が避けられない。権力の傲慢を統制するための民主主義本然の分権でない。主権者の立場からは、行政府を構成する大統領と首相はグルだ。その状況でいう権力の分占は権力プレーのための様相に過ぎない。少数与党になれば一つの屋根の下のいわゆる同居政府(cohabitation regime)が国のために順調に機能するはずがない。
いわゆる「分権」の対象や方式も事理に合わない。外交は国内政治を含む国内政治との関数関係(foreign policy is a function of domestic politics)だから、それ自体で独立できる権力でない。その舞台がジャングル(jungles)である外交は-すべての国家作用を総合し国家利益を追求する「国家芸術」であり-強大国が牛耳って中小国は外交の真似をするだけだ。経済力の後押のない国防は、絵に描いた虎と同じだ。大統領は外交と国防を担当し、首相は経済などの残りの権力を行使するという仮説は、政治的混乱と国政の「麻痺状態(a state of paralysis)」を惹起するだけだ。
フランス式の準大統領制政府を持つ国はごく少数に過ぎない。独立を成就して民主主義を導入したばかりのウクライナ(Ukraina)などいくつかの東欧国家や内戦のスリランカ(Sri Lanka)などのように、政情が不安な国が目立つ。外形上ではいわゆる「分権型」のようなオーストリア(Austria)とアイルランド(Ireland)は事実上国会制政府国家であり、人口約537万人のフィンランド(Finland)だけが準大統領制国家として無難だ。三つの国は「分散する権力」が殆ど無い平和な中小国家だ。
いわゆる「分権型大統領制」を目指すためフランスをベンチマーキングする李明博政権は、筋違いも酷すぎる。フランスは韓国が政治的に真似すべき国でない。千年間近く欧州大陸の強者として君臨した国が、ルイ14世(Louis XIV,the Sun King,of 1643 - 1715)の治世で権力の絶頂に達した後はずっと下り坂を歩いている。
フランスが共和国の「宗主国」として掛けている看板は必ずしも民主主義を意味しない。「北朝鮮(North Korea as a state)」と中国はもちろん、韓国を含む共和国の門牌を付けた120以上の国の中で先進民主国家は5-6に過ぎない。残りは贋物かフランスのように「帝王的共和国」だ。かつて、モンテスクィに(Montesquieu,1689 - 1755)が英国を「王国に偽装した共和国」と呼んだ通り、先進民主国家の多数は英国のような王国(kingdoms)か米国(the United States of America)のようにその看板に何の表示もない。どの国が本当に民主主義を実行するかを簡単に直ぐ判別できる試金石はその国の国会だ。
5.憲法の「総則」でなく「各則」をはやく変えろ
民主主義は選挙を通じてやる。だが、選挙だけでは民主主義がまともに実行できない。選挙はよく民主主義をやっているように見せるため悪用される。胡錦涛(Hu Jintao,1942 - )の中国や金正日(1941 - )の北朝鮮を含め個人の自由を無視する全体主義国家はほとんど100%の賛成投票で独裁者を選ぶ。地球上の大多数の国家は選挙を操作し民主主義をやっているように誇示する。
「帝王的大統領」を追い出せず法治(rule of law)の基礎が不十分な国のいわゆる選挙民主主義(electoral democracy)は、独裁を隠し不正の権力を正当化するための道具として悪用される。民主主義を実践するため必要な四つの制度的必須条件を整えない状態で、選挙だけで民主主義のふり(a travesty of democracy)をすることは似而非民主主義(phoney democracy)だ。
-自律的国会(an autonomous parliament)
-司法の独立(judicial independence)
-公職の中立(neutrality in public offices)
-自由言論(a free press)。
韓国の民主主義は-その「がらくた憲法」の文面やその政治の形では-完全に成長したかのように見える。だが、個人の自由のための闘争の歴史がほとんど無い韓国(韓族の地、朝鮮の地、韓半島)には、民主主義の條件を制度的で確実に確保しておいたものがない。韓国の英雄・朴正煕(1917 -1979)が開発独裁を通じて絶対貧困を追放し民主主義の絶対的基礎を築いたことは注目に値する。植民地など外勢からの解放のため戦った歴史と1960年の「4.19学生革命」のように独裁権力を打倒した歴史はある。1987年の「6.29抗争」を除いては解放と革命のための闘争の歴史は民主主義の條件を制度として整えて固めることとは関係がなかった。
民主主義の基礎としては、絶対貧困の退治と法治が最も重要だ。法治は、民主主義以前に文明国家の一次的要件だ。約束の遵守を強行し正義を実現する法治が不十分な民主主義は砂上楼閣に過ぎない。
韓国は- 「ごった煮」憲法を持つ国として-その憲法「総則」を直すことは直さねばならないが、その時機が今ではない。統一を達成した時が最も良い。統一だけでなく改憲も永らく準備しなければならない。先進民主国家に昇進するためには英国式か米国式に行くしかない。韓国も王国の長い歴史を持った国だから歴史の教訓に学ぶなら英国式に行かねばならない。如何なる場合も、韓国の立法府と司法府が独立するための換骨奪胎が必要だ。どの場合でも政治的下り坂を歩み続けているフランスを真似してはいけない。
韓国は今からでも- 「権力型改憲」の投機をやるのでなくその幼い民主主義がすくすく育ち早く先進世界に進入できるように-憲法の総則でなく「各則」の民主化のため邁進せねばならない。任期があまり残っていない李明博政権が下の中からただ一つの業績でも残したら、後日の歴史が評価するはずだ。
5-1.国会そのものが独立的機構(an independent organ of its own)として変わる。
韓国の国会は、-広大な土地に華麗な施設を建てておいて、事実上無労働・高賃金に免責特権を享受するウェルビーイング族が、国費で運転手付きのほとんどが黒色の高級乗用車に乗り、虚勢で時を過ごす安息所であり-時々暴力や変則でその存在理由を誇示する。
韓国の国会が仕事をする所に変わることが改憲よりはるかに急務だ。
5-1-1.「国会議長の職権上程」を廃止する(その代わり、多数決を妨害する暴力を厳しく制裁し、自体の倫理基準を厳しく確立し実践する)。
5-1-2.年中常時開院する国会に改造する。
5-1-3.重要な事案を大統領令に委任せず中身のある法律を制定する。
5-1-4.常任委員会が所管の国家予算の策定と執行および決算を徹底的に監視する(大統領直属の監査院を廃止する代わりに国会の傘下に審計院の設置を準備する)。
5-1-5.国家(政府)の重要職務に対する人事聴聞会の決定に拘束力を付与する。
6-1.国家検察の独断と横暴と越権を払拭する。
6-1-1.検察の捜査・起訴独占と便宜主義の止揚のため刑事訴訟法を改正する。
6-1-2.警察に捜査権を付与し部分的起訴権を認める。
6-1-3.中央検察とは別個の地方検察制度を導入する。
7-1.裁判の正義と独立のため司法制度を革新する。
7-1-1.最高裁判所を一つに統合し、 その裁判官の任期12年を保障する。
7-1-2.政治前科者への赦免・復権の制限と、前官礼遇や有銭無罪の追放を法制化する。
7-1-3.治安裁判など略式裁判制度を導入して裁判の迅速と公正を図る。
8-1.機能主義行政府を目指して職業公務員制度を確立する。
8-1-1.画一的な政府組織を止揚するため特に行政各部の独自性を付与する(特に、行政安全部、財政経済部、法務部などの帝王的構図を崩す)。
8-1-2.「引退する事務次官制」を通じて行政各部が無主空山にしない。
8-1-3.政務次官制度を導入して「予備長官」を養成し政治と行政の共存を図る。
9-1.情報機関の政治化を防ぐ。
9-1-1.国家情報総責の地位を次官級に下げて非政治化する。
9-1-1.いわゆる特殊活動費を大幅削減し厳格に事後統制する。
9-1-3.情報機関を徹底に「地下化」する。
10-1.放送の権力化を止揚する。
10-1-1.放送通信委員会を非政治化する(政権交替ごとに公営放送社の社長が変わる悪習を止めるため、英国のBBCのように公営化するか米国のように順次民営化する)。
10-1-2.「自由言論」の暢達を通じて放送プログラムの政治化と低俗化を防止する。
筆者略歴:1940年慶南道馬山で生まれ。馬山高等学校卒業。4.19革命功労者。高等考試行政科(外交)合格。ソウル大学校政治学科/大学院外交学科修了。空軍中尉。ドイツ/南ベトナム/英国/ジュネーブ/ニューヨークで勤務。外務部条約課長/国際機構條約局長/外交政策企画室長。大統領政務(外交安保)秘書官。駐国連代表部次席代表、駐シンガポール/駐オーストリア/駐IAEA/駐フィリピン大使歴任。2000年退官。慶煕大学校国際学大学院/明知大学招聘教授。(ドイツBonn大学大学院修学、米国Harvard大学CFIAフェロー、慶応義塾大学訪問教授)。自由評論家。
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